野から矢代に云って来た。矢代は千鶴子と会う打合せもすませ、その日の夕食前に公園へ行ってみると、聴衆の列は乾いた広場にもう長くつづいていた。東野の新アジヤという演題は外交関係の講演者の名の多い、終りの方に見られた。日ごろの東野には似合わしからぬ演題であるだけに、彼を知るものにとっては、何か期待を持たせる題でもあった。
「奥さんを亡くして、新アジヤというのは、何か意味があるのだろうな。」
 矢代は千鶴子に会ったとき、尾を曲げた聴衆の列を眺めてふと悲しい気持ちに誘われた。西日のまだ高く雲を灼いている残光に染って、薄水色の服色に包まれた千鶴子の頬は明るく輝くようだった。篠懸の幹の下を池の方へ廻っていく半面の影は、いつもになく沈みがちだった。日ぐらしの声の鋭くひびきわたる樹の枝ぶりを仰ぐ眼もとにも、気分を引き立てようと努めるときの固い表情もあって、苦労のある一夜になりそうだなと矢代は思った。
「久慈から手紙を貰ったきりで、まだ僕は会わないんだが、あなたもでしょう。」
「昨日塩野さんといらして下さいましたの。」
 ためらいもあって、その返事を避けたいらしい弾みのない詰った千鶴子の声が、矢代には気がかりだった。
 あるいは、――とつい疑いも出て来る彼女のその返事に、矢代はそこから入り込めない遠慮を感じ、路の岐れて行くのもこういうときには意味が出て、自然な方法を取り失う窮窟さも彼は覚えるのだった。久慈のことである。こちらが結納をすましてある間ということに、却って彼の申込みを早めたかもしれない疑惑が胸を掠め、その予感の純不純を暫く彼はたしかめながら歩いた。
「変りましたか、久慈は?」
「そうね、あたしは別に、そんな御様子感じなかったんだけど、でも、塩野さんは君も変ったなアて、そう云ってらしたわ。」
 自分の不在の場所で千鶴子に久慈がどう云おうと、も早や危惧の念を抱く間でないに拘らず、やはりそれを知ろうとする質問に矢代は馳られ、久しぶりに感じる悩ましさが、雲を映した池の水面に黒黒と映るようだった。
 蝋色の子蜂の群が柔い脚を紫陽花の乱れた弁にかけ、溶け崩れそうに蠢めいているのも、花底に流れた秋立つ気配で、彼は自分の結婚日を早く定めねばならぬとも考えたりした。
「久慈は細君を貰いに帰って来たんだそうだが、そんなことはあなたに云いませんでしたか。」
「そのことなの。昨夜もそれで塩野さんといろんなお話の末に久慈さんね、真紀子さんと会わせるようなら明日は出ないって。でも、塩野さんはああいう方でしょう。ですから、もう一度真紀子さんと君結婚し直せって、仰言るし、――これで、今夜もし真紀子さんいらっしゃれば、どうなることかしら。」
「真紀子さんなら来るかもしれないなア。それや来るね。」
 しかし、矢代は自分たちのことより他人の身の上を心配する、そのようなもどかしさも、今なお単刀直入に切り出したくはなく、当分はこうしている以外に月日はたたぬのだと思った。そして、それはどういう理由からでもない。これで良いのだった。一番適当な方法を講じて進んでいる以上、現在の成り行きを変えるのも愚かな考えで、その決断も不用だった。次第に押しよせて来る外界の波を避けようとすることが、下らぬ躊躇に見え、自分の目差す針路だけは他人のものではないと思われた。

 剪裁されたばかりの青枝を跨ぎ、寛ぎの出て来る小丘を降りてからもう病葉の散る橡の樹の下へ出ると「新アジヤ」という東野の演題がまた矢代に泛んで来た。夫人を亡くした東野の針路も、定めしその題の示すところに苦心の光鋩を集めたものだろうと察せられたが、東野のみならず、今は人人の念じるところ、それぞれ違った角度からとはいえ、新アジヤに対い沸沸と湧くもののようやく底から逆巻き返して来ている物音が、公園の長蛇の列からも感じられた。
 しかし、矢代は、自分ならむしろ新世界としたがった。東野と大きさを較べるわけではなく、一分の小さな柱の穴から、空の光を望み噴き立ちのぼった、白蟻の群のように秩序ある、繊細柔軟な想いにも似ており、またそれは、いま見た蝋色の子蜂の透明な脚先が、弁にかかったひとときの花底に流れる、いのちのような真新しさであり、新秋のみのりにも通じる敬虔な祈りのようなもの。
 ――彼の希っているのは、そんな新世界の芳情ある題であった。

 日も落ちてから矢代らは、あまり日比谷とへだたらぬ懐石店へ集った。世話係の塩野はもう見えていて、東野の講演の番までそこで夕食を摂り、その後、田辺侯爵の別邸まで皆で行くことになっていた。青い実を垂らした藤棚をくぐって、矢代たちと前後して来た大石につぎ、佐佐や遊部、それから平尾男爵、速水、などの顔まで揃った。皆より少し遅れて来た久慈は、肩幅のある薄羅紗の夏服に、ブルターニュの農民用の紺木綿のワイシャツへ、毛糸の編
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