から始めます。本日は意外な興奮というより、形勢ただならぬ重大な日となりまして、座談の内容も苦しい色を帯びるかと思われますが、片づけて置くべきことは、今のうちに片づけねばならぬと思いますので、元気一番、御意見をお洩し願います。」
「今日はもう止めよう。」と云うものがあった。半畳ではなく、今さらヒューマニズムという抽象的な議題には感興を覚えない、一同の意識を代表した声かと見えた。
「一切のことは、どうでもいいよ。それより軍備の充実、経済力の拡張だ。」
 ぴしりと、ひびき強く、一人のそういう文明評論家があった。皆これには笑い出した。が、その笑いを吸い取ってゆく明快な判断には、大正の末以来、観念に悩まされた一同の過去に対する潔癖な逆襲がひそんでいた。それは人間の逆襲というよりも、好機を見つけて狙い定め、急襲して来た現実の胴震いのような厳しさだった。
 戦争はもう起っているよ、本当の平和は戦争だ。と、アメリカを廻って来た東野が、入港して来て横浜へ降りるなり、スペイン反乱の有様をそう云った日のことなど、矢代は思い出したりした。塩野と街を歩いていた去年の晩秋、西安で蒋介石が誘拐されたということを聞いたときふと自分の運命に影響を及ぼしそうな突風を身に感じたことも、さらにまた彼は思い出すのだった。一ヵ所の戦争はそこだけで鎮る筈もない。地表を蔽った武器の爆薬の堵列した進行のさま、鉄、石炭、石油の獲得、も早や後へは退けぬ、せり合う戦備の雲行き烈しい各国の目まぐるしさも、矢代は見てきた。パリでは、一時日華の戦争いよいよ開始という大見出しの記事さえ掲げられ、行き交う人人の眼を奪った日のことも、実は、今日の予震のようなものかもしれなかった。そのころは、ジュネーブ聯盟の破滅を中心に、暗雲ますます色濃く垂れさがるばかり、と憂えた朝野の声声の末端、犇めき擦れあう思想の火の手も、危機のふかまり進む車輪のごとく音響を立てていた。視れば、ヨーロッパのどこも発火点で充ちていた。怨恨つみあがり、鬱情す走る十重、二十重の心根の複雑さを、機械の食い破ってゆく日が来たようであった。民族も宗教も、政治も経済も、文明も思想も、ばりばりと歯車の歯の中にめり崩れて行きそうだった。
「西洋と東洋のヒューマニズムの相違について」
 この夜、このような議題が一同の間で発案されたことも、無理からぬ時だったが、しかし、今は火の手は東洋の面面へも迫って来たのである。他人事ではないときに、他人事を憂えるに似た観念の弱さを感じる反撥も手伝い、これを自分の強さに変じる作用あってこそと覚悟する、別の気力も、またそのうち一同の中から燃えて来た。
「戦争は何も、地震のように突然起って来た偶然のことじゃない、拡って来た人事で必然だ。そんなら、ヒューマニズムにつながる根本のものじゃないか。文化人として、今こそやらずにどうする。」
 こういう文学者も一人出て来た。
「しかし、ヒューマニズムは、ルネッサンスの人本主義から出て来ているものだからね。それからやるとなると大変だよ。」
 何も云いたがろうとしない哲学者は、そう云ってまた黙った。
「解釈はどうだっていいよ。ヒューマニズムの心情だ。われわれの心だ。心をそのまま抛ったらかして、狼狽えるわけにはいくまいじゃないか。」
「戦争が起れば、誰も彼も自分の意志ばかりで物を云おうとするからね、意志ばかりで云っちゃ、戦争は負けだよ。冷然とした判断力が何よりだ。」
 と、このとき横からこう云い出したのは、隅の壁にもたれかかり、今まで黙っていた科学者だった。
「意志で云わなくちゃ、何んで云うのだ。」
 憂いを共にしている一団ながらも、その中から急に寛いだ笑いが立った。
「おい速記たのむよ。座談会そこから始める。」と司会者はまた機を捉えて催促した。
 しかし、速記が始まると、さすがに誰も開こうとするものがなく、そこから再び会は頓挫した。矢代はこの頓挫でほっとした。何を云おうと今は無駄だと思ったからだった。出て来る料理につれてしばらく雑談がまだつづいたが、そのうちにこの夜は騒ぎもなく早い散会になった。大玄関から闇の中へ散り出ていく肩口も、平和な日の会合はこれで最後だと思う、名残り惜しげな姿もあり、出る膿なら踏み潰せ、と云いたげな軒昂な肩も見えた。しかし、どのようなことがあろうと、今日はふたたび昨日には戻らぬ訣別の面影ただよう背に、それぞれ灯火をうけた恭倹な帰りとなって散り行くのだった。

 燃えるようなカンナの花茎に黒くまつわりのぼる蟻が見られた。真夏が烈しい暑さで迫って来ても、戦いはやはりつづいた。それは締めくくろうとする緊張した力の闇から、めり出す風にのび拡がり、やがて動員令が出た。新しく編成された軍隊の動きが活溌になっていくにつれて、炎天に振られる旗の数が街から街へ急激に増して
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