坂を下るときも、思わず胸を反りたくなる晴れやかな一望の眺めだった。
「あたし、お伊勢さんへお詣りして、良うござんしたわ。鶏もいるんですのね。あそこには。」
 石段を降るとき、ハンドバッグをかかえ込み、黒の手袋をはめながらそう云う千鶴子の自然さが、矢代には、もう諛いも含まぬ声に聞えて頷いた。前から彼は、階段を下るときの、千鶴子の膝の伸び降りて来る表情が、好きだったが、今もその膝が眼につくと、翌日また別れてひとり旅だつ自分の九州行きが怪しまれ、今夜東京から集って来る塩野たちの賑やかさを脱すのも、約束甲斐のない無聊なことと思われるのであった。
「京都を見るのは早くて三日はかかるだろうが、明日からはまた賑やかなことだな。」
「お発ちは明日ね。」
「朝発つと、次の日の今ごろは、お寺詣りをしているころでしょう。」
「もう一日お延ばしにはなれませんのね。」
 あらかじめ寺への通知もしてあることとて、それは出来ないと彼は答えた。そして、千鶴子と二人ぎり会っていられるときの間も、後一時間あまりの昼食までかと思うと、矢代は並んで降りて行く石段の美しい広さも、短かく惜しまれて急がなかった。巻藁の筒から滑らかな赤松の枝が延びていた。築地の間を下から拡りよって来る池の蓮の葉の群がりが、役目をすませた自分を待ち受けてくれているように、姿を崩さぬ慎しやかな丸みに見えて至極のどかな感興が湧いて来た。
「九州行きも、何んなら、あなたを誘惑して行くべきなんだが、まア、この度びは遠慮をした方が良さそうだな。」
 と彼は太鼓橋の欄干に膝をつけて笑った。
「あたしはお伴してもいいんですのよ。でも、何んだか皆さんいらっしゃるし、それに、あなたのお宅の方にいけないと思うの。どうかしら。」
 千鶴子のそう云いかねているのとは反対に、矢代の場合は、二人の結婚を許可してくれた千鶴子の兄たちへの礼儀も忘るべからざる今の心得だった。しかし、伴に行きたい気持ちの匂い出るのもまたやむを得ず、結局は一人で行くことに落ちつくのも瞭らかだのに、暫くは微妙に押しあい跳ねあうよじれも、無駄につづく今の沈黙の始末だった。
「どうなすって。あなたが良いと仰言れば、あたし、そうするんだけれど。」
 千鶴子も橋の反り上った石から動かず、笑顔の消えた迫り気味の表情で彼に訊ねた。
「いや、やはり一人にしましよう。」と彼は答えた。
「そうね。」
 千鶴子は短く安心したひと言で決したようだったが、まだ何か、思いの残る風情で水面に動く鯉の輪を見降ろした。矢代はともかく昼食に落ち合う一休庵のある方へ車を探した。二人は丸山下で降りてから公園の中へ入っていった。夜桜はもう葉桜となって無数の糸を垂らしていた。姿の良いその幹を右に眺めながら、また少し登って池を越え山手へかかってから、二人は自然に道の細まる方へと足が動くのだった。

 夜になって塩野と佐佐が東京から着いた。その後一時間を隔いて東野がまた来た。矢代は始めは皆から離れひとり出発するのをさみしく感じたが、落ちついて旧蹟を観るのは、やはり一人か二人の方が良いと思い、また父の骨を持った身で皆の歓びの中に混じるのは気もひけることとて、予定を変更して滞まる気にはならず、翌朝そのまま出かけることに決めた。
「とにかく、出来るだけ早く納骨をすませてから、また来るよ。僕のは葬式の延長だからね。」
 こう彼はひき留める塩野たちに苦しく云ってはその場を切りぬけた。夜も皆の行き先きの料亭から、塩野と槙三、千鶴子と彼の四人だけ先に早くホテルへ帰った。東京でもすでに海外版の写真で活動を始めていた塩野は、明日からの京都の旧蹟を撮ることに、今から愉しみぶかい興奮を示して絶えず活溌に話したが、矢代だけは明日の別れもあり、また皆のものを京都へひき出したこの度びの責任の回避も覚えて、とかく沈みがちに気重くなるのだった。ホテルの自室へ戻ってからも、翌朝の出発を今夜の夜行にすれば九州からの戻りも一日早くなり、それなら帰途京都へ着くときもまだ一行に会われそうな余裕もありそうだったので、ためしに一応駅へ寝台の問合せを頼んでみた。すると寝台も一人ならまだ工面が出来るとのことだった。時間を見ると、その列車は後二十分より間がなかった。二十分では躊躇もされたが、それはまだ遅すぎるわけでもない間に合う時間だった。
 彼は荷物をあわただしくまとめてみて、千鶴子の部屋へだけ行ってみた。
「僕ね、このすぐの夜行にしましたよ。皆さんに黙って行きますから、あなたから宜敷く――」
 帽子を手にした矢代を見ると千鶴子は、不審しそうに黙って立ち上った。
「これで行くと一日早く戻れますからね、それだとまたここで落ち合えますよ。じゃ。」
 矢代は答えも待たず部屋を出た。彼の後から廊下を随いて来た千鶴子にエレベーターの口で彼は手をさし出
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