た水の種類も、内地は勿論、外国のも歩いた先のを所持していることを話した。矢代はむかし幕府の将軍夫人が硯水を京都から取りよせる話を読んで、贅沢のたしなみ過ぎたるものと思っていたのも、事実いま東野の話で、日常の苦心の細やかさもそこまで深く分け入るものかと感服をあらたにした。
「それじゃ、筆と紙とならたいへんですのね。」千鶴子も同様に感動したらしかった。
「それはもう、これを云い出せばきりがない。筆だけでも幾千種あるか数知れないからな。僕は自分の好きなものを作らせるのだ。」と東野は云ってもう黙った。
千鶴子は茶の稽古はあると見えて、袱紗捌きも目立たず終え、古万古の壺に頭を下げると揺ってみながら、
「早くこれで詩をいただきたいわ。」と小声で机の上へそっと静に壺を返した。
東野は千鶴子のその様子を暫らく見ていてかすかに頷き、「それで良ろし」とどういうものかそう云うと、立って今度は金の星の模様の散っているガラス製の角壜を戸棚の奥から出して来た。そしてまた、
「これはヨルダン河の水ですがね、あそこへ行った知人が頒けてくれたものです。あなたはカソリックだと聞いていたからお見せしますよ。」
と云って千鶴子の前に置いた。それは通常の透明な淡水とどこも違わぬ水だったが、彼にはキリストの体を拭き浄めた水に見え、思わずどきりとして胸騒ぎが昂まった。横に顕れた千鶴子の膝頸のかすかに揺れるのを一寸見ると、一種無気味な感動の捨て場のない落ちつきなさで、「ふうむ。」と彼はひと言洩らしたままだった。方解石の稜面を横ぎる光線のように水は角壜の半ごろの部分で空隙を支え、薄日のもとに静まり返っていた。千鶴子は壜を手に取ろうともせず、襟を締め直した顔いろも幾らか蒼くなり、背を後ろに丸く縮める風にしてなお水を瞶めつづけた。東野は二人の間に対峙し合う秘かなものには気附かぬらしい無造作な様子で、すぐ次に奥から半折を持って出て来ると、またそれを拡げて二人に見せた。中に書かれた文字は五字でどこの国の字か矢代には分らなかったが、東野のその無造作な動きに、ようやく彼の塊ったままの気持ちもほッとした。
「これはイスラエル語で、インマヌエルと読むのだがね、意は、神なんじと伴にありというのだよ。聖書を訳した人がこの水で書いて僕にくれたんだ。ちょっと西蔵《チベット》の字に似ていて面白いね。落款の印はこれはヨルダン河の石をその
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