で、ぐんぐん彼を氷の中へ誘い込んだのも、ちょうどこんな千鶴子だった。
しかし、いずれにしても、今この門を潜るのは少し無謀なことであった。思慮あれば避けるべき筈の場合だったが、門柱の横の潜戸の中へ消えた千鶴子の後から、何んの相談もなく続いて塩野も潜ると、矢代は自分ひとりそこから去るのも、むしろいかがわしい咎めを残すばかりに感じられ、特別な一大事の前後の処置とは思えぬ気軽さで彼も潜っていった。そして、底白い砂の拡がりを踏みつつ彼は、いちいち自分の微細な動作まで手にとるように分る緊張にも拘らず、どこかぶらりとした旅ものめいた暢気さもあって、まだ見ぬ千鶴子の母に会う興味さえ覚えて来るのだった。矢代を撥ねつづけていた母親だけに、彼は初めてその人に会うことに張り合う気もうすうすに感じ、大玄関の框の前でみなと一緒に靴を脱いだ。
玄関から畳廊下を右の方へ行った突きあたりのスウィッチで、廊下より一段低めな応接室に灯が入った。隣室から離れた感じの厚壁に包まれた親しみある部屋の中を矢代は眺め、また庭を暫く眺めた。
「この画、佐佐んだが、この景色は君もたしかに見た筈だよ。」
と塩野は暖炉棚の上に懸ったパリの風景画をさして云った。
画はパンテオン附近の裏小路らしい風景だったが、崩れない確実な筆触の美しさは佐佐の頑固さと同時に、明澄な純粋さを保持しつづけようとして苦しんでいる、彼の性格もよく現した絵だった。
「とにかく色調に細やかな愛情が出ているところを見ると、どうも、自分の部屋から始終眺めた景色らしいな。」と矢代は絵に対ったまま云った。
佐佐は「うむ」と口重い笑顔で頷いて、自作と再会した嬉しさを白い歯に見せ、椅子にかけてもまだ絵から視線を放そうとしなかった。部屋の隅にグランドピアノがあり、壁に添った棚には由吉の趣味と見える陶器が幾つも置いてあった。一つはアフリカの器らしい厚手の水指と、支那の慶磁の白い湯呑、それに日本物では紫野の茶碗、その横に朝鮮の鶏龍の蓋物の鉢が一つ。中でも鶏龍の別毛鉢が一番優れて美しかったが、それらの選択の仕方には、特に大物をさしひかえた凝り性の滋味な統一が伺えて愉しみぶかい選択だった。
千鶴子がお茶とお菓子を持って来た。家人はもう寝たと見え庭に射し込む灯影がどの部屋からのもなく暗かった。千鶴子はまた引っ込んで出て来たときには、今度はチーズとビールを擁えて来た
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