やや皮肉な微笑を洩して云った。
「そうじゃないよ。それや、そこは君には分んないさ。」
「でも、あたしの眼は間違っちゃいないわ。案外ねあなたも。」
少し薄睨みでみち子がそう云うまで、傍にいたものらは、二人のすらすらと早く運ぶ会話に聞き惚れるようにしんと黙っていた。矢代もふとパリにいる久慈と真紀子の二人も今ごろは、眼の前の遊部とみち子のような話をしていそうに思えて、暫くは二重の興味で聞いていたが、遊部の会話がそこで途切れてしまうと、由吉は惜しそうに、「何んだ、それだけか、もっとやれやれ。」と遊部の片腕を掴んで引きよせようとしたので、そのまま話は一同の笑いの中に壊れてしまった。
「今夜はこの二人を帰らせないことにしようじゃないか。」と速水が云い出した。
「いや帰るよ帰るよ。」と遊部は真面目に狼狽の色を泛べて腕の時計を一寸見てから、隣室へ一人立って行くと、軽くシューマンの協奏曲らしいものを叩いてみていた。みち子も何かまだ云いたいことがあると見え遊部の後を追っていったが、間もなくピアノを聯弾する二人の間からひそひそした声が洩れて来た。
矢代は今夜の侯爵邸の夜会の意味には、さまざまな好意が含まれていたのだと初めて悟るのだった。速水は、この次の集りを佐佐の画の個展のときと藤尾みち子の演奏会のときとにまたやることを提案した。誰もみなそれに賛成だった。矢代は豊かなこの夜の空気にまだ心残りを感じたが、初めての出席に千鶴子と同様長居するのも気がねせられたので、先に失礼する旨を述べて侯爵に挨拶した。すると、久木男爵も「それじゃ、わたしも」と云ってともに立った。遊部とみち子も隣室から出て来た。
「今夜は近ごろにない面白い夜でした。また今度もこの続きをひとつやって下さい。」
あながちお愛想とは思えぬ上機嫌な気色でそう男爵は一同に頼んでから廊下の方へ出ていった。矢代も一瞬立ち停ったような千鶴子の大きな眼を掠めて見ながら、そのまま部屋を出ていった。
門外の冷えつめた夜気の底から、道路工事の焔が塀に沿いタールの臭いを吹き流していた。久木男爵の自動車の扉が匂わしい銀鼠色のクションの模様を開いたとき、男爵は、矢代の帰る方向を訊ねてそこまで一緒に乗車をすすめた。集りの気分のまだ失せない無遠慮なまま、彼は同車させて貰って坂を下って来た。
「そのうちわたしは旅に出ますからね。そこへ今度は遊びにいらっし
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