代になったとき、そのものらに仕事を全部まかせてしまったものですから、今は楽ですよ。午後の三時ごろまではまア、会社へ出ておりますが、後の時間はもう全部芸術に使っているのですがね。わたしは自分を実業家だなどとは思っちゃいないので、自分は何んだろうと考えると、やはりわたしは芸術家だと自分を思いますね。実業よりも芸術に専心しているときの方が、わたしの性分かもしれぬが、気持ちが美しくなって一番真面目になれますからね。」
 日本の実業家連中から親玉のように見られている久木男爵のひそかに洩らしたことが、そういうことを云いたかったのかと矢代は面白く思い、聞き捨てにならぬ美しい心の一面だと解した。画家の佐佐も傍で何か感動したものがあったと見え椅子の背の上で体を動かした。
「じゃ、作曲は今でも毎日されるんですか。」
 数学や作曲によく専心する久木男爵の噂話を、由吉も知っているらしくそう訊ねた。
「一日に少しはどんな日もやりますが、それよりも、やり出すと、どこかへ旅をして、一部屋へ一週間ばかりわたしは籠るのです。そのときは朝から人をよせつけません。やはり、そうしてじっと心が澄んで来ないと、雑事がちらっとでも頭に泛ぼうものなら、もう駄目です。良い音が出て来ませんね。」
 こういう事を云うときの久木男爵の眼は急に変り、澄み透った光を泛べた。気ままそうな小柄な身体の持ち扱いながらも、争われず芸術に錬えられたものに共通な誠実さが顕れた。
「しかし、あなたのような方だと、世間が誰も芸術家だと思わないですから、そこがお困りじゃありませんか。」
 と、田辺侯爵が半ばひやかし気味に云った。
「そうそう。わたしの悩みはそれなんですよ。どんな善い物を作っても、日本の人はわたしが作ったものだとは、思ってくれないのですから、これは残念です。一生懸命になっているものが、一つも真面目に相手にされないなんて、こんな悲しむべきことはありませんよ。」
 思いがけなく富貴の悲しみを聞きつけた思いで、矢代は久木男爵の孤独な顔を注意した。
「じゃ、まだわれわれの方があなたより幸福なわけですかね。」
 と音楽家の遊部がアッペリティフに顔を染めて笑った。
「いや、それは本当ですよ。わたしも日本人が相手にしてくれないので、仕様もなく、このごろはずっと外国で作品を発表しておりますが、外人はみな真面目に取り扱ってくれております。相当にこ
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