て来た。
「僕は一度あなたにお訊ねしたいと思っていたのですが、毎日お祈りをされるときに、あなたらの使われる誓詞があるでしょう。それを一つ僕に教えていただきたいのですよ。どう仰言るのです。」
千鶴子としては答えがたいことかもしれぬと矢代は思い、穏やかな気持ちでそう訊ねても、こんなこととなると争われず密偵のようなさぐりを入れる感じで心が曇った。
「あたしのは学校で教わったころのままですわ。」
と千鶴子もすぐ、矢代の質問の意味を感じて他所行きの顔になるのだった。
「どうもいけないな。こんなことは知って置く方が良いのか悪いのか、僕にはまだ判断が出来ないんだが、しかし、誰にしたところで、心の中でそっと唄う唱歌はあるんですからね。さっきのあの子供だって、最後はくたびれて歌を唄ったですよ。あれは、橇の主を知らずに呼んでいる声なんだもの。そんなものがあなたにだってあるでしょう。」
「でも、そんなこと、御存知でしよう。」
千鶴子はますます不愉快そうだった。宗教の違いとなるとこんなにも争いがつづくものかと、今さら矢代は事の難しさに、安心の出来ぬいら立たしさを感じて下を見た。間もなく宿の廂の下から藁沓を穿いた橇の主が出て来ると、坂下の方へ炭俵をひいて下っていった。しかし、このときは、もう矢代は動き出した橇を眺めても興味が起らず沈むばかりだった。
「僕たちは人より一つ、余計なことで苦しまねばならぬとはいいことじゃないですよ。こんなことは始末につかないことだと分れば、その分ったことの範囲で何んとかしなくちゃ、僕はつまらぬと思うんだが。――何もあなたを嫌いで僕が虐めているわけじゃなし、――」
「あなたはあたしのそんな悲しみ、御存知ないんですもの。あなたのお母さんのことを思うと、きっと、あたし、叱られてばかりだと思えて、それが悲しいんですわ。あなたはお母さんの味方ばかりなさるの、定っているんだし――」
千鶴子は矢代を正面からじっと見詰めて眼を放さなかった。彼の母に対する嫉妬のようにも見える強い千鶴子の眼差に、矢代は何か俄に返答を迫られているような怯みを覚えて身が緊った。
「しかし、どういうものか、女の人というものは、良い宗教でも邪宗にするくせがあるんじゃないかな。僕の母を見ていても、子供の僕でさえ困ることがあるんですよ。僕の父は家代代の真宗なんですがね。母ひとりは法華なんです。それという
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