匂いが強く肌に染み入り、互に羞らいのない心の爽かさが、また一層朝の人の眼醒めを美しくした。
「冬は暖いとこの温泉へ行きたいが、来てみると、やはり冬は冬景色を見るのも良いものだな。」
とある客の声もした。猪の出たことや、この地の葱の特別の美味さや、馬橇の値の高さなど、湯の中の話を聞くともなく聞きながら、矢代は、朝の雪中の男女の混浴を俗情と見ず、こうしている人人も、健康な日のギリシアにどこか似ているなと思った。そして、また彼は今調べつづけているその文明の滅んだ理由を、湯の中で自然に考えるのだった。
矢代の読んで来たギリシアの滅んだ理由はさまざまであった。小党の分立だとか、社会主義の跋扈《ばっこ》だとか、科学の発達から当然に起った農村人の都会化だとか、神神の紛失だとか、歴史家の見方は、それぞれ違った理由を述べたてていたが、彼はそれらを尽くそのまま真実のこととは思えなかった。まだ人人の誰も知らぬことがらが必ず隠れているにちがいないと思い、裸身の人人の湯の中の姿を濃霧の中から見つづけた、ときどき朝日に透けた霧の中から、二つの乳房がおぼろに水面に対って重く垂れている均衡のある美しさを彼は見て、あるいはギリシアは、ここに何か欠陥が生じて滅んだのではあるまいかと思ったりした。
「つまり乳が不足したのさ。代りに山羊の乳を人間に飲ませすぎたのだ。」
何んとなく彼は勝手にこんなことを思いある日も湯から上って来た。小屋へ戻ると、帰途の寒さに凍りついたタオルをへし折り炉の傍へかけてから、彼は味噌汁に入れる葱をナイフできざんだ。雪を冠った鉾杉の幹の下でぷつぷつ切れてゆく葉脈の匂いが強く発ち、あたりの雪の白さが急に眼に滲みついて痛んだ。
矢代が小屋へ来てから十日ほどたった日、遅い新聞と一緒に宿の女中が電報を届けに来た。千鶴子が兄をつれてその夜の六時の汽車で着くという電報だった。
「来るなというのにとうとう来るのか。」
と矢代はひとり呟いて笑った。
電文の最後に宿たのむとあるので捨てても置けず、彼はさっそく部屋を見に宿屋へ行ってみることにした。女中と並んで坂を降りて行きながら、まさか宿たのむとは自分の小屋を宿に借せという意味ではなかろうと思った。六台もある寝台だから小屋で泊めても良かったが、それには毛布が足りなかった。また今は宿だけは別にする方が良かろうと思い、やはり彼は宿屋まで下って
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