いうことが。――それもカソリックに興奮した三傑の原因は、それが運んで来た大砲という暴力の親の火薬が元であってみれば、その火薬を生んだ親たる自然科学に対するとき、矢代も、今もなお信長や秀吉のようにそれに驚異を感じている自分だと思った。しかもその科学と千年ももつれ争い、はては結婚さえしてしまったかのように見えるカソリックという精神の原動力をなす異国の神の――千鶴子や細川ガラシヤの信じたエホバとその子キリストの精神に関しても、彼は知らぬままには素通りして過ぎることが出来ないのであった。そればかりではない、人人のよく用いる世界史というものの内容も、所詮はカソリックと自然科学の歴史と見ても良いと矢代には思われる。そしてこの二つの中心の希い念う不断の希望をも想像もして見ずに、世界の歴史という人間群衆のもがき悲しみ、笑い崩れた姿態の放つさまざまな妖火業念も、また彼には考えられないことだった。
 すべては歴史とはいえ、歴史とはいったい何ものであろう――矢代はこう思うと、いつも漠然としてしまうその最後に浮んで来る想念は、伊勢の大鳥居の姿と、エジプトで見たスフィンクスの微笑であった。信長も、光秀、秀吉も、ともに見ることもなくして死んでしまったそのスフィンクスの顔を見たときも、矢代は、
「ああ、これか。」
 と思って、ただぼんやりしただけの自分だったと思った。しかしそのスフィンクスの背後に聳えていたピラミッドの暗闇の穴の中を潜ったときに、久慈に手を持たれ、ふっと苦しい呼吸でひき上げられていた千鶴子の姿を一緒に矢代は思い出す。そうすると、あの久慈は今でも千鶴子を愛しているにちがいないと、ふとそんなに思ったりした。その久慈が今もパリから千鶴子にせっせと手紙を出している姿を思った。またそれから来る自然な連想に伴って、千鶴子をガラシヤに似せて考える矢代には、ガラシヤにキリシタンを説いてやまなかった高山右近の心情も思い出された。そんなガラシヤと忠興と、その友人の右近の親しくした日日の交際も、また云いかえれば、千鶴子を中にした矢代と久慈との交際の日日と同様にちがいなかったと、矢代は、思うのであった。そして、このままもし、自分が千鶴子と結婚するような結果にでもなれば、右近のように西洋に憧れつづける久慈のことであるからは、あるいは、忠興とガラシャの間にカソリックの水をさし注いで絶えず二人をまどわせた右近
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