だけ、また矢代には何んとなく魅力も生じた。彼はそれをカソリックという異種に対する自分の魅力だと思うと、その自分のひけ目が不快になり、同時にまた千鶴子を愛人と思うことにも、ともすると、赦しがたいある気持ちも感じて来るのだった。
 矢代はそういう気持ちにふと襲われたりするとき、いつも細川ガラシヤを妻とした忠興の苦衷を歴史の中から探り出して想像した。丁度矢代の先祖の城の滅ぼされたのと同じ時代にカソリックを信じる妻に悩まされ、その信仰を思い翻えさせようと努める日夜の忠興と、あくまでそれに抵抗するガラシヤとの間で演ぜられた生活の悲劇は、今もなおそのまま自分と千鶴子との間でつづけられる性質の惧れでもあった。ガラシヤに抜いた太刀を突きつけ、
「キリシタンを捨てよ、捨てられずば腹を切れ。」
 と迫る忠興の顔、そして、その前で天主の徳を説き、
「主を愛するが故に自分は、あなたを愛する。」
 と主張してやまなかったガラシヤの反抗の強さに終始した二人の生涯を思うと、矢代は、西洋で自分の拾って来たものは、忠興を苦しめたその頑固なカソリックだけなのであろうかと、自然に心も暗くなった。
 この細川忠興とガラシヤの夫婦関係は、当時の新鮮な思想的暴風の中心事件のようであったが、特に矢代には、見逃しがたい苦痛な典型的な一点のように見えた。信長が光秀に殺された天正十年の五月のころには、光秀の娘の細川ガラシヤは二十歳ごろで、婦人なら花の盛りとも云うべき年ごろだったのも、千鶴子に似ていた。しかも、このガラシヤと忠興との結婚の仲人を自ら申し出たのが信長なのも、矢代には興味を感じることであった。またその光秀が自分の娘と忠興が結婚してから二三年目に、娘の仲人であり、自分を成長せしめた主の信長を殺したという悲劇には、必ず人人には計り知られぬ光秀の苦痛が潜んでいるにちがいないと思った。その苦痛の分らぬ限りは歴史を動かす精力というものも、容易に解せられぬ何ものかであろうと彼には思われるのだった。――このような感想ならずとも、今の矢代にとって、日本の歴史の中でもっとも興味を感じる部分は、自然とこの彼の先祖の滅んだ戦国時代であり、またその時代を代表する信長、光秀、秀吉の三人物の好奇心の動きであった。そしてこれら三人物がそれぞれ一番興味を感じもし、また悩まされたのは、揃いも揃ってカソリックという西洋を形造った異元素だったと
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