覚えまた千鶴子の顔を見た。
「矢代さん、あなたあたしの手紙御覧になって下さいまして。アメリカから出しましたの。」
「二通いただきました。いや、三通かな。」
「じゃ、あたしの上げた半分だわ。どうしたんでしょう。」
「それはどうも、たびたび有りがとう。」
と矢代は一寸お辞儀をしてから千鶴子のコップにウイスキイを注いだ。千鶴子はそれも尻眼にかけ、呼吸の弾み上って来るような強い眸で矢代を見つづけるのだった。
「あたしね。あなたがもう帰ってらっしゃるにちがいないと思ってましたのよ。でも、いつまでも黙ってらっしゃるんですもの。先日からあたし、いつになったら帰ったというお手紙いただけるかと、そればかり待ってたんだけど、――」
「いや、とにかく、そんなことじゃなかったんですよ。」
と矢代はうつ向いて云った。
「だって、あんなにお約束しておいたんですもの、まさか、そんなことまでお忘れになる方だとは、あたし思えないわ。」
傍に兄や塩野のいることなどももう千鶴子は気兼ねも出来ないほどしゃんとしていた。
「しかし、まア、失礼はたしかに僕もしましたが、考えてもみて下さいよ。いくら僕だって、向うにいるときのそのまま、こちらでまで出来ないし、そんなこと、僕はもうパリでお別れのとき云った筈ですが、ところが、あのときはこんなにまで向うとこちらが違うものだとは思わなかったので、ついそこが失礼することになったのですよ。」
「そうそう、そういうことがあるなア。僕もあった。」
と聞いてはいないと思った由吉が横からひとり頷いた。
「そんなものかしら。」
千鶴子は声を落して急に黙って考え込んだ。
「そうなんですよ。それだけですよ。」
「それにしてもだわ。」
「いや、いや、あなたの間違いさ。面白うてやがて悲しき鵜舟かな。」
話の継ぎ穂もなくばらばらに砕けてしまった静まりの中で、矢代は、当然いつか一度は来なければならなかった失望を、塩野のおかげで早くすませただけだと思い、逆に不思議と元気にもなるのだった。実際パリで別れる前に、予め千鶴子に云うだけ云った用心の後、予想よりも大きくやって来たこの夜の失望に、却って彼はその大きさだけ元気を恢復したといっても良い、奇妙な安定を得たように思った。西洋を旅しているときは、別に何事もなかったとはいえ、何しろ青年にとっては、そのことだけで誰しも生れて以来の大事件であった
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