会の喜びに夢中の塩野からまたそう云われては、矢代も今は抗しがたかった。それも、千鶴子を呼び出すほどなら、むしろ出かけて行っても良かったところを、彼女の家へ直接行き渋る矢代を遠慮とのみ思い込んだ、塩野の勘違いだった。矢代は、この喜びをそのまま素直に受取ろうとしない自分に気枯れのした暗さを二重に感じ、彼にそれも云えない焦燥のまま、不思議と彼は沈みこんだ。
「千鶴子さんに会うのも良いが、どうもね。」
と矢代は笑いに紛らしながら、争われず塩野を見る眼も、さきからパリを懐しむ思いの方が遥かに強かった。そして、ともすると彼をただその背景の上に泛べているだけの自分を感じては、塩野もまた、こちらを同様に見ているにちがいないと思い出され、ふと差し覗いてくるような寂しさが、冷え冷えと薄気味悪い影を流して通りすぎた。それも、もしこのまま千鶴子に会えば、一層拡がるばかりのパリの影が、今はその前兆のような不吉な尾を、ちらりと跳ね上げ冷笑しつつ流れているかと思われる。
「どうもしかし、旅というものは不思議なものだなア。行くときにはただ夢中で行くが――君、もう暫くすると辛いですよ。こんなに辛いものだと思わなかった。これであなたや千鶴子さんと会うのも嬉しいが、惜しいことに、外国へ行く前に一度会っておいたんだと、もっと良かった。」
「そうそう、それや分る。」
と塩野も眼を空に上げて云った。彼のその見上げている空中に映っている異国の幻影が、楼閣に楼閣を重ねた絢爛たる光の綾を鏤め、また自然と矢代の頭にも映り返り、塩野を見るのだった。暫くこうした幻影が幻影を見ている間を、窓の外では、晩秋の光線が徐徐に日暮れに傾きつつ、樹樹の末枯《うらが》れた葉の影を深めてゆく。庭の柿の木の下で、落ち潰れて久しくたった熟柿の皮から、白い毛に似た黴が長く突っ立って生えている。
「とにかく、僕らは足を奪《と》られるよりも、頭を奪られているんだからなア。始末にいかん。――元気を出そう。」
矢代は庭の中の一点の賑やかさを誇っている、狂い咲きの躑躅の花に視線を移して云ったが、晩秋の冴えた日暮がますます腹の底から沁んで来た。
家を出てから二人は坂路を下っていった。坂の降り口の所で、塩野は自動電話のボックスを見付けると矢代を外に残して中へ入った。どこかの料亭へ電話をかけるのか、それとも千鶴子にか、ただ「一寸待って」と声をかけ
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