実っている田の中を通り脱けてまた煙を苦しげに、ぽッぽッと吐いて眼界から消えて行く。
 このような素朴な景色を遠望しているとき、矢代は、自然にまた自分の父の若い時代を思い出した。彼の父は青年時代に福沢諭吉の教えを受け、欧州主義を通して来た人物だった。ただひたすらに欧米に負けたくない諭吉の訓育のままに、西洋も知らず、山間にトンネルを穿つことに従事し、山岳を貫くトンネルから文化が生じて来るものだと確信した、若若しい父の青年時代を思うと、矢代は父とは違う自分の今の思いも考えざるを得なかった。
「洋行というのは、あれは明治時代に云ったことですよ。お父さん。」
 父にそう云った子供の自分らの時代では、いつともなく洋行を渡行という言葉に変えて西洋に立ち対っていたのだが、立ち対う態度を洋式にしているうち、いつとは知れず心魂さえ洋式に変り、落ちつく土もない、漂う人の旅の愁いの増すばかりが若者の時代となって来たのである。
「わしはトンネルに初めて汽車を通すときは夜も眠れなかった。自分の作ったトンネルだからね。どういう間違いで崩れてしまわないとも限らないから、そっと夜起きて、草はらの中に隠れて、トンネルから出て来る汽車の顔を見てたものだ。無事に出て来てくれると、やれやれと思って家へ帰って、また眠ったよ。」
 視界にただ一点幾何学を顕した半円のトンネルの口を見降ろしながら、矢代は、父の話した明治の初期の苦心がその弧形かと思った。今は父は庶民金庫に勤めているとはいえ、自分を育て西洋へまで渡らせてくれたのも、つまりは今見降ろしているその弧形のためだった。また自分のみならず、どれほど多くのものが父の作ったトンネルを潜り、便益を得て来たことだろうと思うと矢代も、実益を多く残して老いの皺の深まってゆく父の顔を、自分に較べて見るのだった。しかし、自分は――彼はトンネルの口を見降ろしつつ、降りるべき土もない旅の愁いを深めるばかりの自分かと思った。
「われ山民の心を失わず。」
 このような芭蕉の村里びとの自覚も、矢代にはもう遠ざかった音のようなものに見え、半弧を描いた父の苦心のトンネルが、なおも彼に、お前は旅をせよと云わぬばかりの表情で、海岸にレールを長く吐き流して曲っている。


 稲の重く垂れ靡いている穂に、裾の擦れ流れる音が爽やかだった。これを耕し刈り採る苦労を少しも知らぬ自分だと矢代は思ったが、見
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