れだけどこか面白くなかったという表現をするのであった。
「あなたはどうだった。」
 と久慈は矢代に笑って訊ねた。千鶴子と二人ぎりでいた船内のことをひやかしたのだとは一同すぐ感じたらしく、皆矢代の方を向いた途端に汽車はパリへ向って出発した。
「僕もなかなか面白かったな。」
 と矢代は久慈の先手を打ったつもりであったが、駅を出た野の美しさに、もう人人は耳を傾けようともしなかった。昨日ノートル・ダムの上から見た半島が現れ、丘が見え、海が開けて来るに随って、だんだんマルセーユは遠ざかっていった。
 杏の花の咲き乱れている野、若芽の萌え出した柔かな田園、牧場、川と入れ代り立ち変り過ぎ去る沿線の、どこにもここにも白い杏の花が咲き溢れて来て、やがてローヌ河が汽車と共にうねり流れ、円転自在に体を翻しつつもどこまでも汽車から放れようとしなかった。
 矢代はしだいに旅の楽しさを感じて来た。たしかにフランスの田園は日本のそれとは全く違った柔かな、撫でたいような美しさだと感歎した。一木一草にさえも配慮が籠っているかと見える築庭のような野であった。
 その野の中をローヌの流れが広くなり狭くなるにつれ、芝生の連りのような柔軟な牧場ばかりがつづいて来た。一本の雑草もないようなゆるやかなカーブの他は山一つも見えなかった。
「フランスの田園の美しさは、世界一だと威張っているが、なるほど、これじゃ威張られたって、仕様がないなア。」
 と三島が云った。
「こんなに綺麗だと、見る気もしないや。これじゃ、パリはどんなに美しいのかね。」
 と商務官が云う。
「さきから見てるんだけれど、鉄道の両側に広告が一つもないな。バタの広告がたった一つあるきりだ。村も日本の十分の一もないが、これで都会文化が発達したのだね。」
「フランスは自国民の食うだけのものは、自国内にあるんだから、植民地の蔵から軍備費だけは、充分出ようさ。」
 こう云う医者に商務官はまた云った。
「しかし、われわれがヨーロッパ、ヨーロッパと騒いで来たのは、騒いだ理由はたしかにあったね。いったい自分の国を善くしたいと思うのは人情の常として、誰にでもあるものだが、騒ぎすぎると、次ぎには要らざる人情まで出て来るのがそれが恐いよ。」
「それやね、国というものを考え出すと、われわれ医者も生理的に苦労をするよ。しかし、まア、君のように、人情を出しちゃ、病人が死んで
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