の文章とそんなに違わぬ内容に自然になって来るのも、このような特別の日だからかもしれぬと思ったりした。
 二人は木椅子から立って芝生の丘の方へ行くと、制服の学生がひとり裏門から入って来た。その学生はいつも坐るらしい陽あたりの好い場所まで来て、うすい芝生の葉の上へ肱をつき原書を披いた。矢代は自分の学生のころを久しぶりに思い出した。そして、緑色の芝生の中で光る金色の背文字と白い頁を見て、あそこは自分も前に通って来た青春の日の駅だったと思った。

 矢代は千鶴子と一緒に、東野や真紀子と室町へ出かけたのは二時を少し廻っていた。三越の呉服部で、結納の品を四人の意見で矢代のは袴にし、千鶴子のは紋服に定めた。それから暫く場内を廻ってから四人は外へ出て、上野博物館へ行った。これも四人は西洋のデパートや博物館と、日本のものとを較べてみたい気持ちに動かされたからだったが、三越の大きさや美しさは、決して負けをとらぬというのが、四人の一致した観察だった。殊に買物の際の勘定の迅さにいたっては世界一だと、東野は賞めた。中でも食堂の女ボーイの暗算の速度と正確さは無類であった。
「しかし、そこに油断のならぬものもあるね。」と東野は自動車の中で一寸首をひねり、そして、考えながら云った。「ね君、暗算が迅いということは、頭が良いというより、勘だからな。それだけ間違いを起しやすいという危険でもあるだろう。フランスなんか、勘定はいちいちお客の前で、紙を出して、寄せ算をやってみてから、それから答えを云って、お釣をくれるね。その釣りも、間違いをやっても損を少なくするために必ず小さい銭から先に出すが、日本のは反対か、あるいは一緒だ。」
「引き算は殊に外人は遅いようだね。」と矢代も思い出して云った。
「そうだ。あれは引き算を暗算でするのは、出来ないんじゃないかと思わずほど、のろのろしてるね、しかし、それというのも、誰もいちいち紙で書いて、答えを出す練習をしつけているからだよ。つまり、暗算という算術は上手だが、それだけ紙を基本とする代数がみな上手だということだ。そういうことは云い換えてみると、国民一般の頭が、もう算術という現実の世界と直接に動く平面的なものから離れて、代数という立体的な、抽象の世界で生活をしているという証明になるんだからね。これでなかなか、西洋と東洋というものは、開きが大きいよ。この開きを日本がどうする
前へ 次へ
全585ページ中519ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング