ど、遠くから瞶めている一条の透明な眼が冴え迫って来るのだった。
「嘘をいって見よ、砕いてみせるぞ。」
と眼は云いかけて来る。
「しかし、真実さえも私はまだ書きませぬ。ましてや嘘など申そうとは。」
と彼は答える。しかし、こういうことを答えるときでも、彼を瞶めている遠方のその眼の在りかは、矢代の家の城の滅んだ年ごろの遠さからではないように思われた。それはなおはるかに遠くからで、彼の記憶に溜った歴史の外遠くから射し透って来ている霊に似た、光りか波か分りがたい、時そのもののような澄み徹った静寂な眼であった。父の葬をすませた夜夢に見た父が、寝せても寝せても半身を起して来て、じっとどこかを瞶めていた遠方も、やはり今彼に顕われて来ている眼の方向と同じように思われるのであった。すべて物事の起るということは、そういう遠方のところから射し起って来ると思う近ごろの彼には、何か判断を要する切羽つまった場合に、彼の視線の自然に対う方向もまたそちらだった。それはこの世の外であったが、またこの世の中にあった。随って、このような眼を感じるときの矢代には、千鶴子のカソリックも母の仏教もともに彼から意味を失い、溶け混じた空なるものに見える習慣だった。
矢代は千鶴子に出す手紙には、自分のそのように見えて来ている空というものの考えも、よく彼女に分る風に書き込んでみたかった。
「こちらで起ったことは、みんな間違いだなんて、そんなこと、――あなたがいつもそんなことを思ってらしたのが、何んだかしら、いやアな気持ちよ。」
パリで別れる際にそう千鶴子の云った言葉に対して、矢代が返事を与えねばならぬのも、彼はこの手紙の中で書くことが適当だと思った。すべて外国で起ったことの締め括りは、自分の国に戻りついてからにしたいと思ったあのときのことなど、それもやはり帰って来てみて間違いではなかったと今彼は思うのであった。
矢代は結局千鶴子に手紙を書いた。それには、さまざまな自分の考えを述べた中に、キリストのようには自分のいのちを怨みに思ってはならぬということ、そして、もしキリストが日本に生れていたなら、もっとも科学的に考えた場合、高山彦九郎の位置にいたと思うということを忘れずに附けてから、最後にこう書いた。
「僕は自分の家の悲劇に関しましては、初めはあなたに云いたくはないと思いました。しかし、あなたも一度は僕とともに、
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