しい威厳あるものを無意識で作ったからであろうと思う。祈りは餅に出るものだ。

 昼食を私一人が久左衛門の家で御馳走になる。せつの新婿も一緒だが、この婿は終始少しも喋らず無愛相な顔で、ぺろぺろと食い、最後に一言だけ、突然、
「嫁をもらうまでは、おれは女を、買った買った。」と妙なことを云った。
 そして、「おい、おせつ、火つけてくれ。」と云ったかと思うと、部屋の一隅に二間ほど離れているせつの所へ、一本煙草を投げつけた。別に怪しむものもない。愛情を示した見栄のこの荒荒しい挙動がも早や普通のこととなっている二人の生活だ。それも種馬つけという天然の破壊を行う作業が、また二人の間でも物柔かな紐帯で行われている日日を、ふと私も普通の生活のように思い込み一緒に箸を動かしているのである。
 すると、夕食には、私は参右衛門のところから呼ばれて、いつもの仏間で馳走になった。このときには、私の前に、特攻隊から帰還して来たばかりで、いま一台で飛び立つ間際に終戦になったという青年が、客となって来ていた。これは生命の破壊を事もなげに、一瞬の間にやり終る訓練に身を捧げた若ものである。
「ああ、もう、助かったのか死んだのか、分らん分らん。」
 とそんなことを云いつつ、実に暢気《のんき》に、傍にいる父から酒を注がれている。先日から煮溜めた砂糖黍の液汁に浸した小豆餅が、大鍋の中で溶けているのももう忘れ、私の妻は、特攻隊員だと聞かされてからは、突然戦争が眼前に展開されているのを見るように、表情が変った。そして、
「死ぬこと恐くありませんでした。」
 と、恐わ恐わ訊ねた。
「あんなこと、何んでもない。分らんのだもの。」
 こういう青年の傍でも、どういうものか、私はまた全く普通のことのように思いつつ箸を動かしているのである。恐るべき速度で何事か皆かき消えて進んでいるのだった。速度の方が恐ろしい、茫然としたこの痴漢のような自分の中で、何が行われているのか私ももう知らない。特攻隊は鼻謡を唄いながら、ケースをポケットから出し、抜き取った煙草を一本ぽんと叩いて、今夜これから寺で芝居をして来るのだと云っている。異常なことが日常のありふれた事に尽く見えてしまっている今日この頃の心情は、われも人も同様に沸騰した新しさだ。私は自分がどれほど新しくなっているのかそれさえも分らぬが、これを表現する言葉は誰にもない。おそらく、誰も自身の心情を表現し得るということはもう出来ないのにちがいない。すべてを普通のこととしてしまう本能の自然さといえども、今までは、そこにまだ連絡した心理があった。しかし、今はそれもない。人生にはいつも幕間が用意されているものだが、この幕間は人のものか神のものか分らぬながらも、どこかの一ヵ所だけ森閑とした部分がある。そこでひそひそ声がしているようだが、おそらく、それは人の声ではないのだろう。

 そら芝居が始まった、と云って、子供らは釈迦堂の方へ駈け出ていく。特攻隊も出ていった。その後で、参右衛門と青年の父親とがなお二人で飲み続け、舌の廻りも怪しくなって来るのを私は隣室で聞いていると、いつまでも絡み合っていてきりがない。参右衛門は濁酒を作ってくれと頼まれて、お礼をすると云われたのが気に喰わぬ、水臭いと云って怒っている。それをまた特攻隊の親父が弁解する。この二人の酔漢の芝居が止み間もないその中に、寺の芝居は済んで特攻隊が戻って来たが、参右衛門ら仏間の「水臭さ」劇は止まる様子もない。とうとう一時だ。そして、最後の二人の科白は――
「もうじき、共産主義になるそうじゃ、面白いのう。あはははは――」
「とにこうに、おれは、礼をされて作るとあれば、いやじゃ、そんなのは、おれは――」
「共産主義になったところで、おれらには、何もないでのう。あはははは。」
「とにこうに――」
「あはははは、おれは、酔っぱらう奴は大嫌いじゃ。」
「いや、礼をされて――」
 と、このような調子である。冗漫さというものも度を越すと面白い。これで人生は退屈しないのだ。間もなく、一人がその場へ眠ると、次ぎも眠った。私は眼が冴えいよいよ蚤との苦闘はこれから始まるところだが、この百ヵ日にあまる無益な苦しみは、想像を絶して苦しい私の劇だ。私は、今は蚤のことあるばかりで退屈をしない模様である。

 十一月――日
 祝いがつづいた二日目、隣家の宗左衛門のあばは、軒の葱《ねぎ》をひき抜きながら、
「あーあ、退屈だのう。」
 とそう呟くのが、私の立っている縁側まで聞えた。二日目にこの寡婦は、もう遊ぶことに退屈しているのだ。この家の裏の家では、今日は、私のいる隣組の娘たち全部と、若い嫁たちが集って、持ちよりの品で一日自由に食べくらし、遊び暮す。当番に当っているその家から、賑かに出入する娘らの声がよく聞える。娘たちの娯楽といえばた
前へ 次へ
全56ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング