ないのが、今さら突然に悲しくなった。私の子供は何も知らずに今こんなことを私の前でしているのだが、知らずにしているということが、一番したことになっているのだ。私のは知りもしなければ、為もしなかった。これが一層痛く胸を打って来て、こ奴はおれよりも見どころのある奴だと私は思った。実際、私は論にもならぬことに感服しているらしい。とはいえ、父、子、孫、という三代には、自らそれ相当の行為の転調というものがあるものだ。人は三代より直接見ることは出来ないばかりか、それも五十にならねば分らぬことがいろいろある。年寄りじみたことながらも、これで年代の相違ということは年とともに私には面白くなって来る。
「ああ早く、ピアノ弾きたいなア。」
 と子供はそんなことを仰向きに倒れてまだ云っている。
「明日東京へ行ったらいい。」
「ほんと。嬉しいなア。ああ嬉し。」子供は蒲団を頭からひっ冠り、すぐまたぬッと頭を出すと、
「お母アさん、パパ東京へ明日行けって、いい、行っても?」まるでまだ子供だ。
 私の十九のときは、私もその年初めて東京へ出て来たのだが、父にはそれまでひと言も行きたい学校さえ話さず、父からも聞きもしなかった。そして出発の前の日母に、明日東京へ行きます、とただそれだけ私は云っただけで、何の反対もされず京都の山科から行李を一つ持って出てしまった。思うに私の父は私よりはるかに良い父であったばかりか、私の子供も子としての私よりは、子供らしい点では優っているように思う。

 十月――日
 足さきが冷えてくる。栗のいがはまだ柔かい。雨に濡れた薪の燃え悪《にく》く鍋の煮えの遅い日だ。野路の中の立話にも自家の田の出来の悪さを吹聴し合う嘘も混っていて、正直さは天候の加減で少しずつ違ってくるようだ。今日などこの雨だと架に掛った稲が腐ってくるおそれもある。照るかと思うと驟雨、激しく変る光と影。一分ごとに照ったり曇ったりで、蝿だけおびただしく群れている。

 しかし、ここに村民に嘘をつかしめるもので、天候にことよせしめる別のものがひそんでいる。元来からそんなに嘘をつかぬ人人が、嘘の表情をたたえるのだから、至って下手で、同情せざるを得ない原因というのは、いつもはもうある筈の米の供出量の割当の決定が、今年はいまだにないことだ。その無気味な沈黙に疑いの影が濃厚になり、防禦のまずい身ぶりがこのようになっている。とにか
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