歩くうち、ふと栖方のある覚悟が背に沁《し》み伝わりさみしさを感じて来たが、――
 疎開先から東京へ戻って来て梶は急に病気になった。ときどき彼を見舞いに来る高田と会ったとき、梶は栖方のことを云い出してみたりしたが、高田は死児の齢《よわい》を算《かぞ》えるつまらなさで、ただ曖昧《あいまい》な笑いをもらすのみだった。
「けれども、君、あの栖方の微笑だけは、美しかったよ。あれにあうと、誰でも僕らはやられるよ。あれだけは――」
 微笑というものは人の心を殺す光線だという意味も、梶は含めて云ってみたのだった。それにしても、何よりも美しかった栖方《せいほう》のあの初春のような微笑を思い出すと、見上げている空から落ちて来るものを待つ心が自ら定って来るのが、梶《かじ》には不思議なことだった。それはいまの世の人たれもが待ち望む一つの明※[#「析/日」、第3水準1−85−31]判断《めいせきはんだん》に似た希望であった。それにも拘《かかわ》らず、冷笑するがごとく世界はますます二つに分れて押しあう排中律のさ中にあって漂いゆくばかりである。梶は、廻転《かいてん》している扇風機の羽根を指差しぱッと明るく笑った栖方
前へ 次へ
全55ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング