ら悲しく、梶は、街路樹の幹の皮の厚さを見過してただ歩くばかりだった。彼は早く灯火の見える辻《つじ》へ出たかった。丁度、そうして夕暮れ鉄材を積んだ一隊の兵士と出会った場所まで来たとき、溌剌《はつらつ》としていた昼間の栖方を思い出し、やっと梶は云った。
「しかし、君、そういうところから人間の生活は始まるのだから、あなたもそろそろ始まって来たのですよ。何んでもないのだ、それは。」
「そうでしょうか。」
「誰にもすがれないところへ君は出たのさ。零《ゼロ》を見たんですよ。この通りは狸穴といって、狸《たぬき》ばかり棲《す》んでいたらしいんだが、それがいつの間にか、人間も棲むようになって、この通りですからね。僕らの一生もいろんなところを通らねばならんですよ。これだけはどう仕様もない。まァ、いつも人は、始まり始まりといって、太鼓でも叩《たた》いて行くのだな。死ぬときだって、僕らはそう為《し》ようじゃないですか。」
「そうだな。」
漸《よう》やく泣き停ったような栖方の正しい靴音が、また梶に聞えて来た。六本木の停留所の灯が二人の前へさして来て、その下に塊《かたま》っている二三の人影の中へ二人は立つと、電
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