来たのですよ。六百五十二歩。」栖方はすぐ答えた。
なるほど、彼の正確な足音の謎《なぞ》はそれで分った、と梶は思った。梶は栖方の故郷をA県のみを知っていて、その県のどこかは知らなかったが、初め来たとき梶は栖方に、君の生家の近くに平田篤胤《ひらたあつたね》の生家がありそうな気がするが、と一言|訊《き》くと、このときも「百メータ、」と明瞭《めいりょう》にすぐ答えた。また、海軍との関係の成立した日の腹痛の翌日、新飛行機の性能実験をやらされたとき、栖方は、垂直に落下して来る機体の中で、そのときでなければ出来ない計算を四度び繰り返した話もした。そして、尾翼に欠点のあることを発見して、「よくなりますよ。あの飛行機は。」と云ったりしたが、氾濫《はんらん》しつつ彼の頭に襲いかかって来る数式の運動に停止を与えることが出来ないなら、栖方の頭も狂わざるを得ないであろうと梶は思った。
正確だから狂うのだ、という逆説は、彼にはたしかに通用する近代の見事な美しさをも語っている。
「君はきょうは、水交社から来たんですか。憲兵はついて来ていないの。」と梶は栖方に家を出る前|訊《たず》ねてみた。
「きょうは父島から帰
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