思ったが、それにしても、梶、高田、憲兵たち、それぞれ三様の姿態で栖方を見ているのは、三つの零《ゼロ》の置きどころを違《たが》えている観察のようだった。
 一切が空虚だった。そう思うと、俄《にわか》に、そのように見えて来る空《むな》しかった一ヶ月の緊張の溶け崩れた気怠《けだ》るさで、いつか彼は空を見上げていた。
 残念でもあり、ほっとした安心もあり、辷《すべ》り落ちていく暗さもあった。明日からまたこうして頼りもない日を迎えねばならぬ――しかし、ふと、どうしてこんなとき人は空を見上げるものだろうか、と梶は思った。それは生理的に実に自然に空を見上げているのだった。円い、何もない、ふかぶかとした空を。――

 高田の来た日から二日目に、栖方から梶へ手紙が来た。それには、ただ今天皇陛下から拝謁《はいえつ》の御沙汰《ごさた》があって参内《さんだい》して来ましたばかりです。涙が流れて私は何も申し上げられませんでしたが、私に代って東大総長がみなお答えして下さいました。近日中御報告に是非御伺いしたいと思っております。とそれだけ書いてあった。栖方のことは当分忘れていたいと思っていた折、梶は多少この栖方の手
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