」
床前に端座した栖方は、いつもの彼には見られぬ上官らしい威厳で首を横に振った。断乎《だんこ》とした彼の即決で、句会はそのまま続行された。高田の披講で一座の作句が読みあげられていくに随《したが》い、梶と高田の二作がしばらく高点を競りあいつつ、しだいにまた高田が乗り越えて会は終った。丘を下っていくものが半数で、栖方と親しい後の半数の残った者の夕食となったが、忍び足の憲兵はまだ垣の外を廻《まわ》っていた。酒が出て座がくつろぎかかったころ、栖方は梶に、
「この人はいつかお話した伊豆《いず》さんです。僕の一番お世話になっている人です。」
と紹介した。
労働服の無口で堅固な伊豆に梶は礼をのべる気持になった。栖方は酒を注《つ》ぐ手伝いの知人の娘に軽い冗談を云ったとき、親しい応酬をしながらも、娘は二十一歳の博士の栖方の前では顔を赧《あか》らめ、立居に落ち付きを無くしていた。いつも両腕を組んだ主宰者の技師は、静かな額に徳望のある気品を湛《たた》えていて、ひとり和やかに沈む癖があった。
東京からの客は少量の酒でも廻りが早かった。額の染った高田は仰向きに倒れて空を仰いだときだった。灯をつけた低空飛行の水上機が一機、丘すれすれに爆音をたてて舞って来た。
「おい、栖方の光線、あいつなら落せるかい。」と高田は手枕《てまくら》のまま栖方の方を見て云った。一瞬どよめいていた座はしんと静まった。と、高田ははッと我に返って起きあがった。そして、厳しく自分を叱責《しっせき》する眼付きで端座し、間髪を入れぬ迅《はや》さで再び静まりを逆転させた。見ていて梶は、鮮かな高田の手腕に必死の作業があったと思った。襯衣《シャツ》一枚の栖方はたちまち躍るように愉《たの》しげだった。
その夜は梶と高田と栖方の三人が技師の家の二階で泊った。高田が梶の右手に寝て、栖方が左手で、すぐ眠りに落ちた二人の間に挟まれた梶は、寝就《ねつ》きが悪く遅くまで醒《さ》めていた。上半身を裸体にした栖方は蒲団《ふとん》を掛けていなかった。上蒲団の一枚を四つに折って顔の上に乗せたまま、両手で抱きかかえているので、彼の寝姿は座蒲団を四五枚顔の上に積み重ねているように見えて滑稽《こっけい》だった。どういう夢を見ているものだろうかと、夜中ときどき梶は栖方を覗《のぞ》きこんだ。ゆるい呼吸の起伏をつづけている臍《へそ》の周囲のうすい脂肪に、鈍く
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