考えることさえ出来ないことだった。勝ってもらいたかった。しかし、勝っている間は、こんなに勝ちつづけて良いものだろうかという愁いがあった。それが敗《ま》け色がつづいて襲って来てみると、愁いどころの騒ぎでは納まらなかった。戦争というものの善悪《ぜんあく》如何《いかん》にかかわらず祖国の滅亡することは耐えられることではなかった。そこへ出現して来た栖方《せいほう》の新武器は、聞いただけでも胸の躍ることである。それに何故また自分はその武器を手にした悪人のことなど考えるのだろうか。ひやりと一抹《いちまつ》の不安を覚えるのはどうしたことだろうか。――梶は自分の心中に起って来たこの二つの真実のどちらに自分の本心があるものか、暫《しばら》くじっと自分を見るのだった。ここにも排中律の詰めよって来る悩ましさがうすうすともみ起って心を刺して来るのだった。先日までは、まだ栖方の新武器が夢だと思っていた先日まで、栖方の生命の安危が心配だったのに、それが事実に近づいて来てみると、彼のことなども早やどうでも良くなって、悪魔の所在を嗅《か》ぎつけようとしている自分だということは、――悪魔、たしかにいるのだこ奴は、と梶《かじ》は思った。
「その君の武器は、善人に手渡さなきゃア、国は滅ぶね。もし悪人に渡した日には、そりゃ、敗けだ。」と、何ぜともなく梶は呟《つぶや》いて立ち上った。神います、と彼は文句なくそう思ったのである。

 栖方と梶とは外へ出た。西日の射《さ》す退《ひ》けどきの渋谷のプラットは、車内から流れ出る客と乗り込む客とで渦巻いていた。その群衆の中に混って、乗るでもない、降りもしない一人の背高い、蒼《あお》ざめた帝大の角帽姿の青年が梶の眼にとまった。憂愁を湛《たた》えた清らかな眼差《まなざし》は、細く耀《かがや》きを帯びて空中を見ていたが、栖方を見ると、つと美しい視線をさけて外方《そっぽ》を向いたまま動かなかった。
「あそこに帝大の生徒がいるでしょう。」
 と栖方は梶に云った。
「ふむ。いる。」
「あれは僕の同僚ですよ。やはり海軍詰めですがね。」
 群衆の流れのままに二人は、海軍と理科との二つの襟章をつけたその青年の方へ近づいた。
「あッ、黙っているな。敵愾心《てきがいしん》を感じたかな。」と栖方は云うと、横を向いた青年の背後を、これもそのまま梶と一緒に過ぎていった。
「もう僕は、憎まれる憎ま
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