を翻して、いつまでも飛び廻《まわ》った。
「おれのう、もう掴まるか、もう掴まるかと思って、両手で鳥を抑《おさ》えると、ひょいひょいと、うまい具合に鳥は逃げるんです。それで、とうとう学校が遅れて、着いてみたら、大雪を冠《かぶ》ったおれの教室は、雪崩でぺちゃんこに潰《つぶ》れて、中の生徒はみな死んでいました。もう少し僕が早かったら、僕も一緒でした。」
栖方は後で母にその小鳥の話をすると、そんな鳥なんかどこにもいなかったと母は云ったそうである。梶は訊《き》いていて、この栖方の最後の話はたとい作り話としても、すっきり抜けあがった佳作だと思った。
「鳥飛んで鳥に似たり、という詩が道元《どうげん》にあるが、君の話も道元に似てますね。」
梶は安心した気持でそんな冗談を云ったりした。西日の射《さ》しこみ始めた窓の外で、一枚の木製の簾《すだれ》が垂れていた。栖方はそれを見ながら、
「先日お宅から帰ってから、どうしても眠れないのですよ。あの簾が眼について。」と云って、なお彼は窓の外を見つづけた。「僕はあの簾の横板が幾つあったか忘れたので、それを思い出そうとしても、幾ら考えても分らないのですよ。もう気が狂いそうになりましたが、とうとう分った。やっぱり合ってた。二十二枚だ。」栖方は嬉《うれ》しそうに笑顔だった。
「そんなことに気がつき出しちゃ、そりゃ、たまらないなア。」一人いるときの栖方の苦痛は、もう自分には分らぬものだと梶は思って云った。
「夢の中で数学の問題を解くというようなことは、よくあるんでしょうね。先日もクロネッカァという数学者が夢の中で考えついたという、青春の論理とかいう定理の話を聞いたが、――」
「もうしょっちゅうです。この間も朝起きてみたら、机の上にむつかしい計算がいっぱい書いてあるので、下宿の婆さんにこれだれが書いたんだと訊いたら、あなたが夕べ書いてたじゃありませんかというんです。僕はちっとも知らないんですがね。」
「じゃ、気狂い扱いにされるでしょう。」
「どうも、そう思ってるらしいですよ。」栖方はまた眼を上げて、ぱッと笑った。
それでは今日は栖方の休日にしようと云うことになって、それから梶たち三人は句を作った。青葉の色のにじむ方に顔を向けた栖方は、「わが影を逐《お》いゆく鳥や山ななめ」という幾何学的な無季の句をすぐ作った。そして葉山の山の斜面に鳥の迫っていった四月
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