つて拳を振つた。
「吾らの市民よ、ガルタンに危機が来た。ヘルモンの山に危機が来た。」
 彼らは直ぐさま酒甕へその唇をあてながら、酒舖や劇場へ雪崩れ込むと、魚のやうにべた/\と大理石や白檀の上へ酔ひ潰れて又叫んだ。
 けれども、雨は降り続いた。日に日に市民の死者が急激に増加した。それら死者の顔は老若男女に拘らず、皆一様に老耄の相に変つてゐて、歯は揺るぎ、窪んだ肉の影には岩のやうに疥癬の巣を張らせ、さうして、彼らの頭髪は引けば茄だつた芋毛のやうにぼく/\と※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77、198−1]れて来た。
 或る日、ガルタンの哲学者らは尽く市の会堂に聚められると、此の未曾有の大降雨の原因と、それに応ずる救済方法に関して執政官の面前で論争させられた。或る哲学者はガルタンがヘルモン山上に位置するを以つてと云ひ、或る者は新生の惑星が城市の上空を飛遊しつつあるが故と論じ、またある者は、数千年に一度飛翔し来る雲の大塊が、今やその動力を失つて彷徨しつゝあるを以つてと結論した。併し、此れらの様々の言葉は、夫々皆降雨に応ずる救済方法に関しては忘却の態度を装つた。が、中の一人は口を開いた。
「ヘルモンの山を下りよ。ガルタンの市民はカイザリアへ逃げよ。」
「空は続いてゐる。」と一人は云つた。
「ガルタンを捨てて、ボルペレオンへ行け。」
「見よ、ヘルモンを下る大道は瀑布である。」
「ガルタンを守れ。雲は空の如く大きくはない。」
「日々に隙間を拡げるガルタンの穀庫は七つである。」
 会堂は静まつた。滔々として山から落ちる瀑布の音は高まつた。その時、立ち上つた哲学者は名高い醜男のカンナであつた。
「ガルタンの哲学者らよ、卿等は賢明の武器を捨てゝ、卿等の祖父と父と妻とを吾に告げよ。卿等の子と孫とをガルタンに捜せ。嗚呼ガルタンの道念は、地に倒れたソロモンの旗の如く穢された。ガルタンの哲学者らよ、卿等は碧玉を飾つた裸形の首と、杯盤の香りを忘れて空を見よ。大いなる神は怒つた。ガルタンの市民は、マハナイムの祭りに焼かれた犠牲のごとくヘルモンの山上に載るであらう。嗚呼ガルタンの哲学者らよ。卿等は額に服罪の水を受けてガルタンを神に返せ。今や吾がガルタンの上には、滅亡と共に神の浄き恵与物が自殺となつて下つてゐる。」
 会堂に並んだ哲学者達の面色は蒼然として変つて来た。会合の詳細な報告は直ちにガ
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