ような気がして来て、どうして子のないのに日々を忍耐していくことが出来るのかと、無我夢中に暴れ廻った延暦寺《えんりゃくじ》の僧侶達の顔と一緒になって、しばらくは友人たちの顔が彼の脳中を去らなかった。しかし、これとて、ないものはないもので、有るものの煩悩《ぼんのう》のいやらしさをおかしく眺めて暮し終るのであろうと思い直し、ふとまた定雄は天上の澄み渡った中心に眼を向けた。
「神神よ照覧あれ、われここに子を持てり」
彼は俎《まないた》の上に大の字になって横《よこたわ》ったように、ベンチの上にのびのびと横っていた。彼は伝教のことなどもう今はどうでもよかった。しかし、時間は意外に早くたったと見えて、うつらうつら睡気《ねむけ》がさして来かかったとき、
「もう切符を切っていましてよ。早く行かないと遅れますわ」突然千枝子が云った。
「発車か、何んでも来い」と定雄は不貞不貞《ふてぶて》しい気になって起き上った。彼は坂道を駅の方へ馳け登って行く千枝子と清の背中を眺めながら、後から一人遅れて歩いていった。
定雄が車に乗るとすぐケーブルのベルが鳴った。つづいて車は湖の中へ刺さり込むように三人を乗せて真直ぐに
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