れ果ててどこが唐崎だか分らなかった。しかし、京都の近郊として一山を開くには、いかにもここは理想的な地だと思った。ただ難点はあまりにここは理想的でありすぎた。もしこういう場所を占有したなら、周囲から集る羨望《せんぼう》嫉視《しっし》の鎮《しずま》る時機がないのである。定雄はこの地を得られた伝教の地位と権威の高さを今さらに感じたが、絶えず京都と琵琶湖を眼下に踏みつけて生活した心理は、伝教以後の僧侶の粗暴な行為となって専横を行ったことなど、容易に想像出来るのであった。これをぶち砕くためには、信長のようなヨーロッパの思想の根源である耶蘇《やそ》教の信者でなければ、出来|難《にく》いにちがいない。定雄は神仏の安置所がこのような高位置にあるのはそれを守護する僧侶の心をかき乱す作用を与えるばかりで、却って衆生を救い難きに導くだけだと思われた。それに比べて親鸞の低きについて街へ根を降ろし、町家の中へ流れ込んだリアリスティックな精神は、すべて、重心は下へ下へと降すべしと説いた老子《ろうし》の精神と似通っているところがあるように思われた。
 しかし、それにしても、定雄は琵琶湖を脚下に見降ろしても、まだ容易
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