ら彼は子供を姉に預け、千枝子と二人で大阪と奈良へ行った。それをすますと見残した京都の名所を廻って、最後に比叡山越しに大津に出てみようと定雄は思った。大津は彼が最初に学校へ行った土地でもあり、殊《こと》に六年を卒業するときに植えた小さな自分の桜が二十年の間に、どれほど大きくなっているか見たかった。
 比叡登りの日には、毎日歩き廻ったため定雄も千枝子も相当に疲れていたが、次男を姉の家に残して清をつれ、ケーブルで山に登った。定雄は比叡山へは小学校のときに大津から二度登った記憶があるが、京都からは初めてであった。千枝子はケーブルが動き出すと、気持ちが悪いと云って顔を少しも上げなかった。しかし、登るにつれて霞《かすみ》の中に沈んでいく京の街の瓦《かわら》は美しいと定雄は思った。
「見なさい。飛行機に乗ると丁度こんなだ」と定雄は清の肩を掴《つか》まえて云った。
 終点で降りてから頂上へ出る道が二つに別れていたので、定雄は先きに立って広場の中を突きぬけて行くと、道は林の中へ這入《はい》ってしまってだんだんと下りになった。
「こりゃおかしい。間違ったぞ」
 定雄は道を訊《き》き正そうにも通行人がいないのでまた後へ引き返した。千枝子は常常から京大阪ならどこでも知っている顔つきの定雄の失敗に、
「だから、豪そうな顔はするもんじゃありませんわ」と云ってやりこめた。
 雪解けでびしょびしょの道をようやくもとへ戻ると、一組の他の人達と一緒になったのでその後から定雄たちもついていった。細い山道は陽のあった所を解け崩《くず》しながらも、山陰は残雪で踏む度に草履が鳴った。千枝子はときどき立ち停って、まだ雪を冠《かぶ》っている丹波《たんば》から摂津へかけて延びている山山の峰を見渡しながら、
「おお綺麗《きれい》だ綺麗だ」と感歎しつづけた。
 七八町も歩くと、また針金に吊《つ》るされた乗物で谷を渡らねばならなかったが、これはケーブルよりも一層乗り工合が飛行機に似ていた。
「この方が飛行機に似ているよ」
「これなら気持ちがいいけど、ケーブルは何んだかいやだわ」
 そう云う千枝子に抱きかかえられている清は、
「ほらほら、また来た」と突然叫んで前方を指差した。
 見ると向うから新しく仕立てて来た車が、こちらを向って浮いて来た。皆がしばらく口をぼんやり開《あ》けてその車の方を面白そうに眺めていた。するとその途
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