》の花を踏みにじって奴国の方へ馳けていった。
「卑弥呼。」
「卑弥呼。」

       九

 遠く人馬の騒擾《そうじょう》が闇の中から聞えて来た。訶和郎《かわろ》と香取《かとり》は戸外に立って峠《とうげ》を見ると、松明《たいまつ》の輝きが、河に流れた月のように長くちらちらとゆらめいて宮の方へ流れて来た。それは不弥《うみ》の国から引き上げて来た奴国《なこく》の兵士《つわもの》たちの明りであった。訶和郎と香取は忍竹《しのぶ》を連ねた簀垣《すがき》の中に身を潜《ひそ》めて、彼らの近づくのを待っていた。
 やがて、兵士たちのざわめきが次第に二人の方へ近寄って来ると、その先達《せんだち》の松明の後から、馬の上で一人の動かぬ美女を抱きかかえた長羅《ながら》の姿が眼についた。訶和郎は剣を抜いて飛び出ようとした。
「待て、兄よ。」と香取はいって、訶和郎の腕を後へ引いた。
 先達の松明は簀垣の前へ来かかった。美女の片頬は、松明の光りを受けて病める鶴のように長羅の胸の上に垂れていた。
 訶和郎は剣《つるぎ》を握ったまま長羅の顔から美女の顔へ眼を流した。すると、憤怒《ふんぬ》に燃えていた彼の顔は、次第に
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