彼女の第二の夫《つま》を殺害した者は彼女の膝の上に眠っていた。しかし、反絵のその逞《たくま》しい両肩の肉塊と、その狂暴な力の溢れた顎《あご》とに代って、奴国に攻め入る者は、彼の他の何者が何処《いずこ》の国にあるであろう。やがて、彼のために長羅《ながら》の首は落ちるであろう。やがて、彼女は不弥と奴国と耶馬台の国の三国に君臨するであろう。そうして、もしその時が来たならば、彼女は更に三つの力を以て、久しく攻伐し合った暴虐な諸国の王をその足下に蹂躙《じゅうりん》するときが来るであろう。彼女の澄み渡った瞳《ひとみ》の底から再び浮び始めた残虐な微笑は、静まった夜の中をひとり毒汁のように流れていた。
「ああ、地上の王よ、我を見よ。我は爾らの上に日輪の如く輝くであろう。」
 彼女は膝の上から反絵と反耶の頭を降ろして、静《しずか》に彼女の部屋へ帰って来た。しかし、彼女はひとりになると、またも毎夜のように、幻《まぼろし》の中で卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の匂を嗅《か》いだ。彼は彼女を見詰めて微笑《ほほえ》むと、立ちすくむ小鳥のような彼女の傍へ大手を拡げて近寄って来た。
「卑弥呼。卑弥呼。」
 彼女は卑狗の囁《ささやき》を聞きながら、卑狗の波打つ胸の力を感じると、崩れる花束のように彼の胸の中へ身を投げた。
「ああ、大兄、大兄、爾は何処へ行った。」
 彼女の身体は毛皮の上に倒れていた。しかし、その時、またも彼女の怨恨は、涙の底から急に浮び上った仇敵《きゅうてき》の長羅に向って猛然と勃発した。最早や彼女は、その胸に沸騰する狂おしい復讐の一念を圧伏していることが出来なくなった。
「大兄を返せ、大兄を返せ。」
 彼女は立ち上った。そうして、きりきりと歯をきしませながら、円木《まろき》の隙に刺された白鷺の尾羽根を次ぎ次ぎに引き脱いては捨てていった。しかし、再び彼女は彼女を呼ぶ卑狗の大兄の声を聞きつけた。彼女の身体は呆然《ぼうぜん》と石像のように立ち停り、風に吹かれた衣のように円木の壁にしなだれかかると、再び抜き捨てられた白鷺の尾羽根の上へどっと倒れた。
「ああ、大兄、大兄、爾は我を残して何処《いずこ》へ行った。何処へ行った。」

       二十三

 反耶《はんや》は夜中眼が醒《さ》めると、傍から不弥《うみ》の女が消えていた。そうして、彼の見たものは自分の片手に握られた乾いた一つの酒盃と、肉塊
前へ 次へ
全58ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング