《じっぴき》の蚕《かいこ》のように動き出すと、彼の身体は胸毛に荒々しい呼吸を示しながら次第に卑弥呼の方へ傾いていった。
 反耶は衣を結んだ両手を後から卑弥呼の肩へ廻そうとした。と、彼女は急に妖艶な微笑を両頬《りょうほお》に揺るがしながら、彼の腕の中から身を翻《ひるがえ》して踊り出した。そうして、今や卑弥呼を目がけて飛びかかろうとしている反絵の方へ馳け寄ると、彼の剛《つよ》い首へ両手を巻いた。
「ああ、爾は我のために我の夫を撃ちとめた。我を我の好む耶馬台の宮にとどめしめた者は爾である。」
「旅の女よ。我は爾の夫を撃った。我は爾の勾玉《まがたま》を奪った奴隷を撃った。我は爾を傷つける何者をも撃つであろう。」
 反絵の太い眉毛は潰《つぶ》れた瞼《まぶた》を吊り上げて柔和な形を描いて来た。しかし反耶の空虚に拡がった両腕は次第に下へ垂れ落ると、反耶は剣を握って床を突きながら使部にいった。
「若い死体を外へ出せ。宿禰《すくね》を連れよ。鹿の死体の皮を剥《は》げと彼にいえ。」
 使部は床の上から訶和郎の死体を抱き上げようとした。卑弥呼は反絵の胸から放れると、急に使部から訶和郎を抱きとって毛皮の上へ泣き崩れた。
「ああ、訶和郎、爾は不弥《うみ》へ帰れと我にいった。我は耶馬台の宮にとどまった。そうしてああ爾は我のために殺された。」
 反絵は首から奴隷の勾玉を取りはずして卑弥呼の傍へ近寄って来た。
「旅の女よ。我は奴隷の奪った勾玉を爾に返す。」
「旅の女よ。立て。われは爾の夫を阿久那《あくな》の山へ葬ろう。」と使部はいって訶和郎の死体を抱きとった。
「王よ。我を不弥へ返せ、爾の馬を我に与えよ。我は不弥の山へ我の夫を葬ろう。」
「爾の夫は死体である。」
「朝が来た、爾が我を不弥へ帰すを約したのは夕べである。馬を与えよ。」
「何故に爾は帰る。」
「爾は何故に我をとめるか。」
「我は爾を欲す。」
 卑弥呼の顔は再び生々とした微笑のために輝き出した。そうして、彼女は反耶の肩に両手をかけると彼にいった。
「ああ、われを爾の宮にとどめよ、われの夫は死体である。」
「旅の女、われは爾を欲す。」と反絵はいって彼女の方へ迫って来た。
 卑弥呼は反耶に与えた顔の微笑を再び反絵に向けると彼にいった。
「我は不弥へ帰らず。われは爾らと共に耶馬台の宮にとどまるであろう。爾はわれのために、我に眠りを与えよと王に願
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