の宮に伴なうか。われらは爾の宮を通るであろう。」
「ああ、不弥の女。爾らは我の宮を通って不弥へ帰れ。」
「卑弥呼。」と訶和郎はいった。
「待て、爾はわれに従って耶馬台を通れ。」卑弥呼は訶和郎の腕に手をかけた。
「卑弥呼、われらの路は外れて来た。耶馬台を廻れば、われらの望みも廻るであろう。」
「廻るであろう。」
「われらの望みは急いでいる。」
「訶和郎よ。耶馬台の宮は、不弥の宮より奴国へ近い。」
「不弥へ急げ。」
「耶馬台へ廻れ。」
「卑弥呼。」
 訶和郎は、眼を怒らせて、卑弥呼の腕を突き払った。その時、今まで反耶の横に立って、卑弥呼の顔を見続けていた彼の弟の片眼の反絵《はんえ》は、小脇に抱いた法螺貝《ほらがい》を訶和郎の眉間《みけん》に投げつけた。訶和郎は蹌踉《よろ》めきながら剣の頭椎《かぶつき》に手をかけた。反絵の身体は訶和郎の胸に飛びかかった。訶和郎は地に倒れると、荊《いばら》を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》って反絵の顔へ投げつけた。一人の兵士は鹿の死骸で訶和郎を打った。続いて数人の兵士たちの松明は、跳ね上ろうとする訶和郎の胸の上へ投げつけられた。火は胸の上で蹴られた花のように飛び散った。
「彼を縛《しば》れ。」と反絵はいった。
 数人の兵士たちは、藤蔓《ふじづる》を持って一時に訶和郎の上へ押しかむさった。
「王よ、彼を赦せ、彼はわれの夫《つま》、彼を赦せ。」卑弥呼は王の傍へ馳け寄った。反絵は藤蔓で巻かれた訶和郎の身体を一本の蜜柑の枝へ吊《つ》り下《さ》げた。卑弥呼は王の傍から訶和郎の下へ馳け寄った。
「彼を赦せ、彼は我の夫、彼を赦せ。」
 反絵は卑弥呼を抱きとめると、兵士たちの方を振り返って彼らにいった。
「不弥の女を連れよ。山を下れ。」
 一団の兵士は卑弥呼の傍へ押し寄せて来た。と、見る間に、彼女の身体は数人の兵士たちの頭の上へ浮き上り、跳ねながら、蜜柑の枝の下から裾の方へ下っていった。
 訶和郎は垂れ下ったまま蜜柑の枝に足を突っ張って、遠くへ荷負《にな》われてゆく卑弥呼の姿を睥《にら》んでいた。兵士たちの松明は、谷間から煙のように流れて来た夜霧の中を揺れていった。
「妻を返せ。妻を返せ。」
 蜜柑の枝は、訶和郎の唇から柘榴《ざくろ》の粒果《つぶ》のような血が滴《したた》る度ごとに、遠ざかる松明の光りの方へ揺らめいた。その時、兵士たち
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