る。爾を奪わば彼は我を殺すであろう。」
一頭の栗毛《くりげ》に鞭《むち》が上った。馬は闇から闇へ二人を乗せて、奴国の宮を蹴り捨てた。
長羅は蒸被の前へ追いつめた宿禰の肩を斬り下げた。そうして、剣を引くと、「卑弥呼、卑弥呼。」と呼びながら、部屋の中を馳け廻り、布被《ぬのぶすま》を引き開けた。玉簾を跳ね上げた。庭園へ飛び下りて、萩《はぎ》の葉叢《はむら》を薙《な》ぎ倒《たお》しつつ広場の方へ馳けて来た。
「不弥の女は何処へ行った。捜せ。不弥の女を捕えたものは宿禰にするぞ。」
再び庭に積まれた松明の小山は、馳け集った兵士たちの鉾尖に突き刺されて崩された。そうして、奴国の宮を、吹かれた火の子のように八方へ飛び散ると、次第に疎《まばら》に拡りながら動揺《どよ》めいた。
十一
訶和郎《かわろ》の馬は狭ばまった谷間の中へ踏み這入った。前には直立した岩壁から逆様に楠《くす》の森が下っていた。訶和郎は馬から卑弥呼を降して彼女にいった。
「馬は進まず。姫よ、爾《なんじ》は我とともに今宵《こよい》をすごせ。」
「追い手は如何《いかん》。」
「良し、姫よ。我は奴国《なこく》の宿禰《すくね》の子。我の父は長羅のために殺された。爾を奪う兵士《つわもの》を奴国の宮に滞《とど》めて殺された。長羅は我の敵である。もし爾が不弥の国になかりせば、我の父は我とともに今宵を送る。爾は我の敵である。」
「我の良人《おっと》は長羅の剣《つるぎ》に殺された。」
「我は知らず。」
「我の父は長羅の兵士に殺された。」
「我は知らず。」
「我の母は長羅のために殺された。」
「やめよ、我は爾の敵ではない。爾は我の敵である。不弥《うみ》の女。我は爾を奪う。我は長羅に復讐のため、我は爾に復讐のため、我は爾を奪う。」
「待て。我の復讐は残っている。」
「不弥の女。」
「待て。」
「不弥の女。我の願いを容れよ。然《しか》らずば、我は爾を刺すであろう。」
「我の良人は我を残して死んだ。我の父と母とは、我のために殺された。ひとり残っている者は我である。刺せ。」
「不弥の女。」
「刺せ。」
「我に爾があらざれば、我は死するであろう。我の妻になれ。我とともに生きよ。我に再び奴国の宮へ帰れと爾はいうな。我を待つ物は剣であろう。」
「待て。我の復讐は残っている。」
「我は復讐するであろう。我は爾に代って、父に代って
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