ら額を上げると彼女の方へ手を延ばした。
「卑弥呼、我は爾を奪わんために、我の国を滅ぼした。我は爾を奪わんために我の父を刺した、宿禰を刺した。爾は返れ。」
 長羅の蒼ざめた額は地に垂れた。
「卑弥呼、卑弥呼。」
 彼は恰《あたか》も砂に呟《つぶや》くごとく彼女を呼ぶと、彼の瞼《まぶた》は閉じられた。卑弥呼の身体は顫《ふる》えて来た。彼女の剣は地に落ちた。
「大兄よ、大兄よ、我を赦せ。彼を刺せと爾はいうな。」
 卑弥呼は頭をかかえると剣の上へ泣き崩れた。
「大兄よ、大兄よ、我を赦せ。我は爾のために長羅を撃った。我は爾のために復讐した。ああ、長羅よ長羅よ、我を赦せ。爾は我のために殺された。」
 長羅と反絵と卑弥呼を残して、彼方《かなた》の森の中では、奴国の兵を追いながら、奴国の方へ押し寄せて行く耶馬台の軍の鯨波《とき》の声が一段と空に上った。



底本:「日輪・春は馬車に乗って 他八篇」岩波文庫、岩波書店
   1981(昭和56)年8月17日第1刷発行
底本の親本:「日輪」春陽堂
   1924(大正13)年5月18日
初出:「新小説」
   1923(大正12)年5月号
入力:土屋隆
校正:鈴木厚司
2009年5月13日作成
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