弥の女を持つものは彼らの軍であったから。反絵の出した三人の偵察兵は帰って来た。彼らは、奴国の王子が卑弥呼を奪いに耶馬台の宮へ攻め寄せるという報導を齎《もたら》した。反絵と等しく怒った者は耶馬台の宮の兵たちであった。その翌朝、進軍の命令が彼らの上に下された。一団の先頭には騎馬に跨《またが》った反絵が立った。その後からは、盾《たて》の上で輝いた数百本の鋒尖《ほこさき》を従えた卑弥呼が、六人の兵士に担《かつ》がれた乗物に乗って出陣した。彼女は、長羅を身辺に引き寄せる手段として、胄《かぶと》の上から人目を奪う紅《くれない》の染衣《しめごろも》を纏《まと》っていた。一団の殿《しんがり》には背に投げ槍と食糧とを荷《にな》いつけられた数十疋の野牛の群が連《つらな》った。彼らは弓と矢の林に包まれて、燃え立った櫨《はぜ》の紅葉の森の中を奴国の方へ進んでいった。そうして、この蜒々《えんえん》とした武装の行列は、三つの山を昇り、四つの谷に降り、野を越え、森をつききって行ったその日の中に、二人の奴国の偵察兵を捕えて首斬《くびき》った。二日目の夕暮れ、彼らはある水の涸《か》れた広い河の岸へ到着した。
二十七
不弥《うみ》を一挙に蹂躙《じゅうりん》して以来、まだ日のたたぬ奴国の宮では、兵士《つわもの》たちは最早や戦争の準備をする必要がなかった。神庫《ほくら》の中の鋒《ほこ》も剣《つるぎ》も新らしく光っていた。そうして、彼らの弓弦《ゆづる》は張られたままにまだ一矢の音をも立ててはいなかった。しかし、王子長羅の肉体は弱っていた。彼は焦燥しながら鶴《つる》と鶏《にわとり》と山蟹《やまがに》の卵を食べ続けるかたわら、その苛立《いらだ》つ感情の制御しきれぬ時になると、必要なき偵察兵を矢継早《やつぎば》やに耶馬台《やまと》へ向けた。そうして、彼は兵士たちに逢《あ》うごとに、その輝いた眼を狂人のように山の彼方《かなた》へ向けて、彼らにいった。
「不弥の女を奪え。奪った者を宿禰にする。」
彼の言葉を聞いた兵士たちは互にその顔を見合せて黙っていた。しかし、それと同時に彼らの野心は、その沈黙の中で互に彼らを敵となして睨《にら》み合《あわ》せた。
数日の後、長羅の顔は蒼白《あおじろ》く痩《や》せたままに輝き出した。そうして、逞《たく》ましく前に蹲《かが》んだ彼の長躯は、駿馬《しゅんめ》のよう
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