てゐた。
所がかの子僧の歌は、空虚になつた列車の中からまたまた勢ひ好く聞え出した。
「何んぢや
此の野郎
柳の毛虫
払ひ落せば
またたかる、
チヨイチヨイ。」
彼はその眼前の椿事は物ともせず、恰も窓から覗いた空の雲の塊りに噛みつくやうに、口をぱくぱくやりながら。その時である。崩れ出した人波の中へ大きな一つの卓子が運ばれた。そこで三人の駅員は次のやうな報告をし始めた。
「皆さん。お急ぎの方はここへ切符をお出し下さい。S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻して下さい。」
さて、切符を出すものは? 群衆は鳴りをひそめて互に人々の顔を窺ひ出した。何ぜなら、故障線の列車はいつ動き出すか分らなかつた。従つて迂廻線の列車とどちらが早く目的地に到着するか分らなかつた。
さて?
さて?
さて?
一人の乗客は切符を持つて卓子の前へ動き出した。駅員はその男の切符に検印を済ますと更に群衆の顔を見た。が、卓子を巻き包んでそれを見守つてゐる群衆の頭は動かなかつた。
さて?
さて?
さて?
暫くすると、また一人じくじくと動き
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