へ得るものがなかつた。ただ彼らの答へはかうであつた。
「電線さへ不通です。」
 一切が不明であつた。そこで、彼ら集団の最後の不平はいかに一切が不明であるとは云へ、故障線の恢復する可き時間の予測さへ推断し得ぬと云ふ道断さは不埒である、と迫り出した。けれ共一切は不明であつた。いかんともすることが出来なかつた。従つて、一切の者は不運であつた。さうして、この運命観が宙に迷つた人々の頭の中を流れ出すと、彼等集団は初めて波のやうに崩れ出した。喧騒は呟きとなつた。苦笑となつた。間もなく彼らは呆然となつて了つた。しかし、彼らの賃金の返済されるのは定つてゐた。畢竟彼らの一様に受ける損失は半日の空費であつた。尚ほ引き返す半日を合せて一日の空費となつた。そこで、此の方針を失つた集団の各自とる可き方法は、時間と金銭との目算の上自然三つに分かれねばならなかつた。一つはその当地で宿泊するか、一つはその車内で開通を待つか、他は出発点へ引き返すべきかいづれであるか。やがて、荷物は各車の入口から降ろされ出した。人波はプラツトから野の中へ拡り出した。動かぬ者は酒を飲んだ。菓子を食べた。女達はただ人々の顔色をぼんやりと眺めてゐた。
 所がかの子僧の歌は、空虚になつた列車の中からまたまた勢ひ好く聞え出した。
 「何んぢや
  此の野郎
  柳の毛虫
  払ひ落せば
  またたかる、
  チヨイチヨイ。」
 彼はその眼前の椿事は物ともせず、恰も窓から覗いた空の雲の塊りに噛みつくやうに、口をぱくぱくやりながら。その時である。崩れ出した人波の中へ大きな一つの卓子が運ばれた。そこで三人の駅員は次のやうな報告をし始めた。
「皆さん。お急ぎの方はここへ切符をお出し下さい。S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻して下さい。」
 さて、切符を出すものは? 群衆は鳴りをひそめて互に人々の顔を窺ひ出した。何ぜなら、故障線の列車はいつ動き出すか分らなかつた。従つて迂廻線の列車とどちらが早く目的地に到着するか分らなかつた。
  さて?
  さて?
  さて?
 一人の乗客は切符を持つて卓子の前へ動き出した。駅員はその男の切符に検印を済ますと更に群衆の顔を見た。が、卓子を巻き包んでそれを見守つてゐる群衆の頭は動かなかつた。
  さて?
  さて?
  さて?
 暫くすると、また一人じくじくと動き
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング