―私《わたし》の妻《つま》だったリカ子《こ》をQから奪《と》られたのはそれは事実《じじつ》だ。しかし、それは私《わたし》が彼《かれ》にリカ子《こ》を与《あた》えたのだといえばいえる。それほども私《わたし》とリカ子《こ》とQとの間《あいだ》には単純《たんじゅん》な迷《まよ》いを起《おこ》させる條《すじ》がある。それは世間《せけん》にありふれたことだと思《おも》われるとおりの平凡《へいぼん》な行状《ぎょうじょう》だが、ここに私《わたし》にとっては平凡《へいぼん》だと思《おも》えない一|点《てん》がひそんでいるのだ。人《ひと》は二人《ふたり》おればまア無事《ぶじ》だが三|人《にん》おれば無事《ぶじ》ではなくなる心理《しんり》の流《なが》れがそれが無事《ぶじ》にいっているというのは、どこか三|人《にん》の中《なか》で一人《ひとり》が素晴《すば》らしく賢《かしこ》いか誰《たれ》かが馬鹿《ばか》かのどちらかであろうように、三|人《にん》の中《なか》でこの場合《ばあい》私《わたし》が一|番《ばん》図抜《ずぬ》けて馬鹿《ばか》なことは確《たし》かなことだ。Qと私《わたし》とにいたってはことごとに私《わ
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