》り出《だ》して再《ふたた》び全《まった》く別《べつ》の驚《おどろ》きに変《かわ》り出《だ》したというのは、他《ほか》でもない。Qは怪《あや》しい顔《かお》をしている私《わたし》の表情《ひょうじょう》に向《むか》って投《な》げつけるように、そのダイヤモンドの母岩《ぼがん》が礫岩《れきがん》であり削剥堆積《さくはくたいせき》の噴出状態《ふんしゅつじょうたい》の痕跡《こんせき》を表《あらわ》している所《ところ》を見《み》ると、オルドウィス紀《き》の噴出《ふんしゅつ》にちがいなく、母岩《ぼがん》が礫岩《れきがん》でオルドウィス紀《き》の噴出《ふんしゅつ》なら、ミナスゲラス以外《いがい》にはないではないかといい出《だ》した。私《わたし》にはミナスゲラスさえ知《し》らないのにどうしてQがそのミナスゲラスとダイヤモンドとの関係《かんけい》を知《し》っているのだろうか、これは全《まった》く驚《おどろ》く以外《いがい》にはなくなって、ふと私《わたし》はリカ子《こ》が傍《そば》にいることさえ忘《わす》れてしまい、君《きみ》のいうミナスゲラスとはいったいどこだいと訊《き》いてみた。すると、Qはこれ以上《いじょう》リカ子《こ》のいる前《まえ》で私《わたし》に辱《はずかし》い思《おも》いをさせるのを慎《つつし》むかのように黙《だま》りながら、Minas Geraesと鉛筆《えんぴつ》で書《か》いてコーヒーだといった。ははあブラジルかと私《わたし》はいったがもうそのときは遅《おそ》かった。いつも二人《ふたり》の知識《ちしき》を比《くら》べたがる年齢《ねんれい》のリカ子《こ》の前《まえ》でのこの最初《さいしょ》の敗北《はいぼく》は、人生《じんせい》の半《なか》ばを敗北《はいぼく》し続《つづ》けたのと同《おな》じことだ。私《わたし》はそれからはこの最初《さいしょ》の敗北《はいぼく》を取《と》り返《かえ》そうとして彼《かれ》の下《した》で一|層《そう》激《はげ》しく勉強《べんきょう》をし始《はじ》めたのだが、私《わたし》がすればするほどQも二|階《かい》でそれだけ勉強《べんきょう》をしているのだ。同《おな》じ量《りょう》の勉強《べんきょう》を二人《ふたり》がしているとするといつも私《わたし》の方《ほう》がはるかに彼《かれ》より勉強《べんきょう》しないことになっていく。私《わたし》がランゲを読《よ》めばQはバウエルを読《よ》んでいる。私《わたし》がフムボルトを読《よ》めば彼《かれ》はローレンツとモアッサンを読《よ》んでいる。私《わたし》が漸《ようや》くモアッサンにかかるともう彼《かれ》はウォルフとハッスリンガーにかかっているという状態《じょうたい》で、夜《よ》の目《め》も寝《ね》ずに私《わたし》が勉強《べんきょう》したとてとても彼《かれ》には及《およ》ぶことが出来《でき》ないのだ。何《なに》が悲《かな》しいといったとて自分《じぶん》の敵《てき》が頭《あたま》の上《うえ》で自分《じぶん》との距離《きょり》をますます延《の》ばしていくことほど口惜《くや》しいことはないであろう。しかし、それがあまりにかけ離《はな》れるともう私《わたし》はただ彼《かれ》を尊敬《そんけい》することだけが専門《せんもん》になり始《はじ》めた。彼《かれ》にとっては初《はじ》めから私《わたし》などは敵《てき》ではないのだ。それを愚《おろ》かしくもこちらが敵《てき》だと思《おも》ってひとりくよくよしていた自分《じぶん》の格好《かっこう》を考《かんが》えると、私《わたし》は私自身《わたしじしん》が気《き》の毒《どく》でならなくなった。殊《こと》にQには彼《かれ》を絶《た》えず凌駕《りょうが》していた敵手《てきしゅ》のAがあったのだ。AとQとはQと私《わたし》との場合《ばあい》におけるがように何《なに》かにつけてAの方《ほう》が上《うえ》になった。Qが凡水論《ネプチュニズム》にかかっているとAは凡火論《ボルカニズム》にかかっている。Qが災異論《カタストロフィズム》にかかっているとAはもうパイエルの進化論《しんかろん》にかかっているという調子《ちょうし》がQをますます勉強《べんきょう》させていたのである。しかし私《わたし》はQがAに圧迫《あっぱく》されているこの状態《じょうたい》に対《たい》して復讐《ふくしゅう》の快感《かいかん》よりも応援《おうえん》の快感《かいかん》を感《かん》じて鞭《むち》を打《う》った。ある日《ひ》の研究報告会《けんきゅうほうこくかい》でQがAに打《う》ち負《ま》かされたときなどには私《わたし》は私《わたし》がQであるかのように萎《しお》れてしまった。それは丁度《ちょうど》私《わたし》がQからミナスゲラスで刺《さ》されたときのように。QはAから岩石学《がんせきがく》の最大問題
前へ 次へ
全15ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング