。しかし、領主をいまだに殿様と呼び、その前では平伏|叩頭《こうとう》する習慣を維持している士族一派を、市民たちは御家禄《ごかろく》派と呼び特殊階級として許していることは明らかな事実であった。この御家禄派の現在の生活費は、その一党からなる地方第一の倉庫の所有権から上って来ていた。倉庫は平野の大産物である米穀の保管が目的であって、保管倉庫の完備と人心の素朴さでこの地の米穀は全国第一の実質を備えていた。
しかし、ここに新しい別の倉庫が建ち起って来た。それは農民を主体とする産業組合の活動である。この組合は農民の手でなる米穀類の保管から売捌《うりさば》き交渉一切を引き受ける上に、金銭を貸し与えて肥料の供給までするのである。この便利な組織は自然に農民の心を引きよせるに充分であった。ところが、ここに困ったのは、その敵である御家禄派の衰微ではなく市の主要群団であるところの商人たちであった。農民たちの金銭がすべて産業組合の手中に落ちた結果は、市の商人の品物の売れなくなるのは当然である。たちまち商人の破産するものが続出して来た。梶の耳に這入って来た確かな検《しら》べによると、ほとんど商人の九割までが破産状態に瀕《ひん》しているということであった。しかし、さらに梶を驚かしたことは、その現象がこの地方のみならず日本全国に共通した農村都市の叫喚であるということだった。
梶は前からもそれは感じていたことであったが、それはこれほどまで深刻な変化をしているものとは思わなかった。政治季節になると、いつもの通り掲げられる米穀統制法という看板も、つまりは、地方の商人を破壊している産業組合の主態である農村を救えという声である。明らかに誰が見ても、農夫の作る米穀類をすでに存在している統一機関の手をもって統一し、仲介業者の手を無くすることの良い仕事であるのは分ったことだ。それにも拘《かかわ》らずこの統制法が、いまだに議会を通過しないという事実の裏には、商人団の中央機関の必死の破壊運動があるのだった。
農民を救うべきか商人を救うべきかという難問の前で、明答の出て来る筈はない。どちらも救えというためには、秩序組織の改革以外に良法はない。これは誰が考えたとて定ったことだ。現状維持を最も安全な思惑と考える筋合は、実は最も危険思想であるという奇怪な進行をなしつつ満員列車は馳けているのだった。ところが、梶のいるこの
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