》し、パリー人というものは自身や他人の金利のことについては口に出さぬ。もしこれに一口でも触れようものならパリー生活の秩序は根柢《こんてい》から破壊されてしまうのだ。それは日本に於ける義理人情の如きものでこの生活を破壊して自由はないのであった。思想は生活の自由を尊重すればこそ思想である。しかし、その思想が市民の根柢をなす金利を減少せしめ、自由の生活を破壊に導く火を噴き上げている現在においては、市民の思想とはいかなる種類のものであろうか。こう梶の思っているときである。突然ツァラアは、
「もう良識は左翼以外にはない。それは決った」
と低くひとり呟《つぶや》くように云って葡萄酒のコップを上げた。
梶はその言葉を聞くとある古い言葉を耳にしたときのような無表情な自分の心を見るのだった。十年前には梶はそれと同様な言葉でさんざん人人から突き刺された。今またその傷口を吹かれても通り脱ける風穴の身にすでに開いている日本人の梶である。しかし、梶はこの風穴を塞《ふさ》ぎとめては尽く呼吸の断ち切れてしまう日本人の肉体を今さら不思議な物として眺め始めた。ここには何か人人のまだ発見しない完成された日本特有の知性があるのにちがいない。まことにそれは義理人情という世界に類例のない認識秩序の美しさの中にあるに相違ないと梶は思った。しかし、それにしてもかつてスイスにいるとき世の義理人情を踏み砕く無思想の発会式を行ったツァラアが、今その行為に内容を吹き与えたがごとき左翼の思想に新しさを発見したことは、再び完全に世の義理人情を否定する現実上の発会式を行ったようなものであった。つまり彼にあっては、彼の超現実主義と云う知性への反抗が一層反抗の度を強めた超現実主義になったまでだ。
集った者たちの間に葡萄酒が新しく注がれたとき、一人の女詩人が盛装して新しく這入《はい》って来た。一同はその方を振り返って軽く手を上げると、またそれぞれの会話をつづけていった。すると、今まで梶の横で誰とも話さなかったむっつりした一人の婦人が不意に梶に向って、
「日本人はどうして腹切りをするのです」
と訊ねた。梶は咄嗟《とっさ》のこととてすぐには返事出来なかった。もし外人の了解出来る適当な解釈をしようとすると、日本人の義理人情の細《こま》やかさから説明しなければならなかった。梶の横に通訳のようにいた友人は、
「日本人の腹切りは見栄《
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