うに、際立つて嶮しく尖鋭に見えて來る。

 しかし、再び私は思ひがけない興奮に接することが出來始めた。私は湖の岸を廻つてゐる道を左の方へ歩いていつた。この道は道とはいへ長らく人が通らぬために、巾一間半もあるにもかかわらず、荒れはてて茫々とした草原に見えてゐたのである。進むにしたがつて、すぐ眞下に迫つてゐる湖が、身を沒する苺の垣や茅や葡萄の蔓のために全く見えない。山面を遠くから雲のやうに白く棚曳き降りて來た獨活《うど》の花の大群生が、湖面にまで雪崩れ込んでゐる裾を、黄白の野菊や萩、肉色の虎杖《いたどり》の花、女郎花と、それに混じた淡紫の一群の花の、うるひ、薊《あざみ》、龍膽、とりかぶと、みやまおだまき、しきんからまつ、――道はだんだん丈なす花のトンネルに變つて來る。花の底で波がかすかにごぼりごぼりと音を立てる。苺のとげに片袖が觸れるたびに、爆け切つた實がぼろぼろとこぼれ落ちる。絶えず唸りながら花から花へと馳けめぐつてゐる蜂の群が、都會の中央で擦れ違ふ自動車の爆音のやうに喧騷を極めて來て、むせ返つて來る花の強烈な匂ひにふらふら眩暈を感じ出す。進む鼻の前で、空中に浮き上つたままぴたりと停止し
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