花を見降している高次郎氏の傍には、いつも囁《ささや》くようなみと子夫人の姿が添って見られた。この二人は結婚してから幾年になるか分らなかったが、私の隣人となって三年目ごろのあるときから、何となくみと子夫人の身体は人目をひくほど大きくなった。
「今ごろになってお子さんが出来るのかしら。加藤さんの旦那さん喜んでらっしゃるわ。きっと」
こういうことを家内と云っているとき、奇妙なことにまた私の家にも出生の予感があり、それが日ごとに事実となって来た。それまでは、私は年賀の挨拶《あいさつ》に一年に一度加藤家へ行くきりで向うもそれに応じて来るだけだったが、通りで出会う私の家内とみと子夫人のひそかな劬《いたわ》りの視線も、私は謙遜《けんそん》な気持ちで想像することが出来た。
「いったい、どっちが早いんかね。家のか」
と私はみと子夫人の良人を送り出す声を聞いた朝など家内に訊《たず》ねたこともあったが、加藤家の方が少し私の家より早かった。次ぎに私の家の次男が生れた。すると、二年たらずにまた加藤家の次女が生れた。
いつの間にか私の家の周囲には八方に家が建ち連り、庭の中へ見知らぬ子供たちの遊びに来る数が年毎に増えて来た。それらの中に額に静脈の浮き出た加藤家の二人の女の子もいつも混っていた。どこから現れて来るものか数々の子らの出て来る間にも、私の家の敷地を貸してくれた地主が死んだ。また隣家の主婦も、またその隣家の主婦も日ならずして亡《な》くなった。すると、その亡くなった斜め向いの主婦も間もなく死んでしまった。裏のこのあたり一帯の大地主に三夫婦揃った長寿の家もあったが、その真ん中の主人も斃《たお》れた。
こんな日のうちに加藤家ではまた第三番目の子供が生れた。それは初の男の子だった。朝ペタルを踏み出す父の後から、子供たちの高次郎氏を送り出す賑《にぎ》やかな声が、夫人の声と一緒にいつものごとく変らずに聞えていた。実際、私はもう十幾年間、
「行ってらっしゃい。行ってらっしゃい」
とこう呼ぶ加藤家の元気の良い声をどれほど聞かされたことかしれぬ。その度《たび》に私は、この愛情豊かな家を出て行く高次郎氏の満足そうな顔が、多くの囚人たちにも何か必ず伝わり流れていそうに思われた。この家の不幸なことと云えば、見たところ、恐らく私の家の腕白な次男のために、女の子の泣かされつづけることだけではなかろうかと
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