饒舌《じょうぜつ》に煽動《せんどう》させられた彼の妻は、最初の接吻《せっぷん》を迫るように、華《はな》やかに床の中で食慾のために身悶《みもだ》えした。彼は惨酷に臓物を奪い上げると、直ぐ鍋《なべ》の中へ投げ込んで了うのが常であった。
 妻は檻《おり》のような寝台の格子《こうし》の中から、微笑しながら絶えず湧《わ》き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣《けもの》だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛《たた》えている」
「それはあなたよ。あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって」
「それは、檻の中の理論である」
 彼は彼の額に煙り出す片影のような皺《しわ》さえも、敏感に見逃《みのが》さない妻の感覚を誤魔化すために、この頃いつもこの結論を用意していなければならなかった。それでも時には、妻の理論は急激に傾きながら、彼の急所を突き通して旋廻することが度々《たびたび》あった。
「実際、俺
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