に斬《き》りつけたくてならないように、黙って必死に頭を研《と》ぎ澄しているのを彼は感じた。
 しかし彼は、彼女の病勢を進ます彼自身の仕事と生活のことを考えねばならなかった、だが、彼は妻の看病と睡眠の不足から、だんだんと疲れて来た。彼は疲れれば疲れるほど、彼の仕事が出来なくなるのは分っていた。彼の仕事が出来なければ出来ないほど、彼の生活が困り出すのも定《きま》っていた。それにも拘《かかわ》らず、昂進《こうしん》して来る病人の費用は、彼の生活の困り出すのに比例して増して来るのは明《あきら》かなことであった。然《しか》も、なお、いかなることがあろうとも、彼がますます疲労して行くことだけは事実である。
 ――それなら俺は、どうすれば良いのか。
 ――もうここらで俺もやられたい。そうしたら、俺は、なに不足なく死んでみせる。
 彼はそう思うことも時々あった。しかし、また彼は、この生活の難局をいかにして切り抜けるか、その自分の手腕を一度はっきり見たくもあった。彼は夜中起されて妻の痛む腹を擦《さす》りながら、
「なお、憂きことの積れかし、なお憂きことの積れかし」
 と呟《つぶや》くのが癖になった。ふと
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