春は馬車に乗って
横光利一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)凩《こがらし》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一体|誰故《だれゆえ》に
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海浜の松が凩《こがらし》に鳴り始めた。庭の片隅《かたすみ》で一叢《ひとむら》の小さなダリヤが縮んでいった。
彼は妻の寝ている寝台の傍《そば》から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺《なが》めていた。亀が泳ぐと、水面から輝《て》り返された明るい水影が、乾いた石の上で揺れていた。
「まアね、あなた、あの松の葉がこの頃それは綺麗《きれい》に光るのよ」と妻は云った。
「お前は松の木を見ていたんだな」
「ええ」
「俺は亀を見てたんだ」
二人はまたそのまま黙り出そうとした。
「お前はそこで長い間寝ていて、お前の感想は、たった松の葉が美しく光ると云うことだけなのか」
「ええ、だって、あたし、もう何も考えないことにしているの」
「人間は何も考えないで寝ていられる筈《はず》がない」
「そりゃ考えることは考えるわ。あたし、早くよくなって、シャッシャッと井戸で洗濯《せんたく》がしたくってならないの」
「洗濯がし
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