顔色の青くなった彼は、まだ剃刀を研いでは屋根裏へ通い続けた。そしてその間も時々家の者らは晩飯《ばんめし》の後の話のついでに吉の職業を選び合った。が、話は一向にまとまらなかった。
 或日《あるひ》、昼餉《ひるげ》を終えると親は顎《あご》を撫でながら剃刀を取り出した。吉は湯を呑んでいた。
「誰だ、この剃刀をぼろぼろにしたのは。」
 父親は剃刀の刃《は》をすかして見てから、紙の端《はし》を二つに折って切ってみた。が、少し引っかかった。父の顔は嶮《けわ》しくなった。
「誰だ、この剃刀をぼろぼろにしたのは。」
 父は片袖《かたそで》をまくって腕を舐《な》めると剃刀をそこへあててみて、
「いかん。」といった。
 吉は飲みかけた湯を暫く口へ溜めて黙っていた。
「吉がこの間研いでいましたよ。」と姉は言った。
「吉、お前どうした。」
 やはり吉は黙って湯をごくりと咽喉《のど》へ落し込んだ。
「うむ、どうした?」
 吉が何時《いつ》までも黙っていると、
「ははア分った。吉は屋根裏へばかり上っていたから、何かしていたに定《きま》ってる。」
 と姉は言って庭へ降りた。
「いやだい。」と吉は鋭く叫んだ。
「いよいよ怪しい。」
 姉は梁《はり》の端に吊《つ》り下《さが》っている梯子を昇りかけた。すると吉は跣足《はだし》のまま庭へ飛び降りて梯子を下から揺《ゆ》すぶり出した。
「恐《こわ》いよう、これ、吉ってば。」
 肩を縮めている姉はちょっと黙ると、口をとがらせて唾を吐きかける真似をした。
「吉ッ!」と父親は叱った。
 暫くして屋根裏の奥の方で、
「まアこんな処に仮面《めん》が作《こしら》えてあるわ。」
 という姉の声がした。
 吉は姉が仮面を持って降りて来るのを待ち構えていて飛びかかった。姉は吉を突《つ》き除《の》けて素早く仮面を父に渡した。父はそれを高く捧《ささ》げるようにして暫く黙って眺めていたが、
「こりゃ好く出来とるな。」
 またちょっと黙って、
「うむ、こりゃ好く出来とる。」
 といってから頭を左へ傾け変えた。
 仮面は父親を見下して馬鹿にしたような顔でにやりと笑っていた。
 その夜、納戸《なんど》で父親と母親とは寝ながら相談した。
「吉を下駄屋《げたや》にさそう。」
 最初にそう父親が言い出した。母親はただ黙ってきいていた。
「道路に向いた小屋の壁をとって、そこで店を出さそう、それ
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