混合して、人としての眼と、個人としての眼と、その個人を見る眼とが意識となって横《よこたわ》っている。そうして、行為と思考とは、様々なこれらの複眼的な意識に支配を受けて活動するが、このような介在物に、人間の行為と思考とが別《わか》たれて活動するものなら、外部にいる他人からは、一人の人間の活動の本態は分り得るものではない。それ故に、人は人間の行為を観察しただけでは、近代人の道徳も分明せず、思考を追求しただけでは、思考という理智《りち》と、行為の連結力も、洞察することは出来ないのである。そのうえに、一層難事なものがまたここにひかえている。それは思考の起る根元の先験ということだが、実証主義者は、今はこれを認めるものもないとすればそれなら、感情をもこめた一切の人間の日常性というこの思考と行為との中間を繋《つな》ぐところの、行為でもなく思考でもない聯態《れんたい》は、すべて偶然によって支配せられるものと見なければならぬ。しかし、それが偶然の支配ではなくて、必然性の支配であると思わなければ、人間活動として最も重要な、日常性について説明がつかぬばかりではない、日常性なるものさえがあり得ないと思わねばならぬのである。これは明らかに間違いである。
こうなれば、作家が人間を書くとは、どんなことを云うのであろうか。純粋小説論の結論は、所詮《しょせん》ここへ来なければ落ちつかぬのである。しかし、人間を書き、それの活動にリアリティを与えねばならぬとなれば、いかなる作家といえども、この難渋困難な場合に触れずに、一行たりとも筆は動かぬ。すなわち、人間を書くということは、先《ま》ず人間のどこからどこまでを書くかという問題である。すでにのべたように、人間の外部に現れた行為だけでは、人間ではなく、内部の思考のみにても人間でないなら、その外部と内部との中間に、最も重心を置かねばならぬのは、これは作家必然の態度であろう。けれども、その中間の重心に、自意識という介在物があって、人間の外部と内部を引き裂いているかのごとき働きをなしつつ、恰《あたか》も人間の活動をしてそれが全く偶然的に、突発的に起って来るかのごとき観を呈せしめている近代人というものは、まことに通俗小説内に於ける偶然の頻発と同様に、われわれにとって興味|溢《あふ》れたものなのである。しかも、ただ一人にしてその多くの偶然を持っている人間が、二人以上現れて活動する世の中であってみれば、さらにそれらの偶然の集合は大偶然となって、日常いたる所にひしめき合っているのである。これが近代人の日常性であり必然性であるが、このようにして、人間活動の真に迫れば迫るほど、人間の活動というものは、実に瞠目《どうもく》するほど通俗的な何物かで満ちているとすれば、この不思議な秘密と事実を、世界の一流の大作家は見逃がす筈《はず》はないのである。しかも彼らは、この通俗的な人間の面白さを、その面白さのままに近づけて真実に書けば書くほど、通俗ではなくなったのだ。そうして、このとき、卑怯《ひきょう》な低劣さでもって、この通俗を通俗として恐れ、その真実であり必然である人間性の通俗から遠ざかれば遠ざかるに従って、その意志とは反対に通俗になっているという逆説的な人間描法の魔術に落ち込んだ感傷家が、われわれ日本の純文学の作家であったのだ。この感傷の中から一流小説の生れる理由がない。しかし、も早やこの感傷は赦《ゆる》されぬのだ。われわれは真の通俗を廃しなければならぬ。そのためには、何より人間活動の通俗を恐れぬ精神が必要なのだ。純粋小説は、この断乎《だんこ》とした実証主義的な作家精神から生れねばならぬと思う。
私は目下現れているさまざまな文学問題に触れつつ廻《まわ》り道をして純粋小説に関する覚書を書きすすめて来たが、人間をいかに書くかという最後の項には、触れることをやめよう。これは作家各自の秘密と手腕に属することであり、云い得られることでもない。唯ここでは、私は、自分の試みた作品、上海、寝園、紋章、時計、花花、盛装、天使、これらの長篇制作《ちょうへんせいさく》に関するノートを書きつけたような結果になったが、他の人々も今後|旺《さか》んに純粋小説論を書かれることを希望したい。今はこのことに関する意見の交換が、何より必要なときだと思う。そのために、作家は延び上り成長するべきときである。浪曼主義者《ろうまんしゅぎしゃ》も、能動主義者も、共にこの問題について今しばらく考えられたい。行動主義と自由主義については、その前に飛び越すわけには行かぬ民族の問題があるから、今は一先ずこれにはペンをつつしもう。今日本がヨーロッパと同一の位置にいるとは私には思えないからだ。私はヨーロッパの理智が、亜細亜《アジア》の感情や位置の中で、どこまで共通の線となって貫き得られるものかという限界を、前から考えてみたが、まだ今は我国のマルキシズムさえが、外部から見れば一種の国粋主義のごとき観さえ帯びている時代である。転向して来た作家評論家の行為も何となく一番自然に無理なく見えるのも、原因はここにあるのだ。これらの人の行為は、内部からばかり見るものではなく、外部からも見なければ、自然や人間に忠実な見方とはいえないと思う。日本人の思想運用の限界が、これで一般文人に判明してしまった以上は、日本の真の意味の現実が初めて人々の面前に生じて来たのと同様であるのだから、いままであまりに考えられなかった民族について考える時機も、いよいよ来たのだと思う。私に今一番外国の文人の中で興味深く思うのは、ヴァレリイとジイドであるが、ジイドの転向に反して、ヴァレリイの動かぬのはただ単に思想実践力の両者の相違とばかりには思えない。一人は分ったから動き、一人は分ったから動かぬのか、あるいは、一人は分らぬから動き、他は分らぬから動かぬか、そのどちらかであろう。しかし、分り、分らぬとは、どこが違うか誰も定めたのではない。ただ私には、亜細亜のことは自分は知らぬから、云わないだけだと云ったヴァレリイの言葉が一番に私の胸を打つ。ところが、わが国の文人は、亜細亜のことよりヨーロッパの事の方をよく知っているのである。日本文学の伝統とは、フランス文学であり、ロシア文学だ。もうこの上、日本から日本人としての純粋小説が現れなければ、むしろ作家は筆を折るに如《し》くはあるまい。近ごろ、英国では十八世紀の通俗小説として通っていたトムジョーンズという作品が、純粋小説として英国文壇で復活して来たということだが、我国の通俗小説の中にも、念入りに験《しら》べたなら、あるいは純粋小説があるのかもしれない。このごろ私はスタンダールのパルムの僧院を贈られたので読んでいるが、これは純粋小説の見本ともいうべきものだ。この作者は「赤と黒」とを書いているとき、すでにトムジョーンズを読みつつ書いたといわれただけあって、この「パルム」も原色を多分に用いた大通俗小説である。もし日本の文壇にこの小説が現れたら、直ちに通俗小説として一蹴《いっしゅう》せられるにちがいあるまい。純文学を救うものは純文学ではなく、通俗小説を救うものも、絶対に通俗小説ではない。等しく純粋小説に向って両道から攻略して行けば、必ず結果は良くなるに定っていると思う。純粋小説の社会性と云うような問題は他に適当な人が論じられるであろうから、私は今はこれには触れないが、しかし、純粋小説は可能不可能の問題ではない。ただ作家がこれを実行するかしないかの問題だけで、それをせずにはおれぬときだと思う事が、肝腎《かんじん》だと思う。
底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「定本横光利一全集」河出書房新社
1981(昭和56)年6月〜
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2002年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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